何に使う〈コラム一草一味〉
2025年08月09日 福祉新聞編集部
世の中、自分の思ったようにはならないのが常だ。そして思い悩み、心乱れる。仏教ではこうした思い通りにならないことを苦と表現している。
生老病死を四苦と言い、生まれること生きることから死に至るまでの生理的な状態を、自分の思い通りにはならない受動的立場だとする。
人生には、願ってもそのようにはなかなかいかない苦がある。愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦の四つである。
四苦が二つ合わせて八苦だ。どうにもならない状態を四苦八苦するというのは、ここから来ている。
いとおしい人や物と別れること、憎い人や嫌な物事に出会うこと、欲しいと求めても手に入らぬことの三つは分かりいいが五蘊盛苦はどうだ。
五蘊とは身体のことだ、身体が元気で活発なのが苦だという。諸説あるが、身体が元気で持て余してしまうというのが私の解釈だ。
「仕事に追われて自分の時間がない。やりたいこともできない」とボヤいていた人が、いざ定年になって有り余るほどの時間を手にした途端、何をしてよいのやら立ちすくんでしまうことも少なくないという。こんなことなら趣味の一つも持つようにしておけばよかったのに、と自戒。
時間を生み出したときに、何に使うのか。あらかじめ想定しておくこと。逆に言えば何のために時間を生み出すのか。最近参加した研修会での講師の言葉に目を覚まされた。
「生産性向上」という旗印のもとに、時間を指標として成果を示す取り組みが進められている。もちろん、それは重要だが、本当にそれだけでよいのか。例えば、利用者は満足しているのか、職員は達成感を得ているのか、と問い掛けたくなるものもある。
とは言うものの、時間の価値は金銭では測れない性格を持っているということも事実である。
生み出した時間を何に使うのか、時間は止まらない。