尊厳を傷つけない介護〈高齢者のリハビリ 58回〉

2023年0901 福祉新聞編集部

 高齢になり心身機能が低下して思うように動けなくなってきた時、つらく悲しい思いをするのは本人です。何をするにも時間がかかり、何をするか分かっていてもすぐに動けない。自分の思いと行動に時間差が生まれてその差がどんどん大きくなってくる。「少し待ってもらえればできるのに」と悔しい思いをしていると思います。

 

 かつては自分で思うように動けていたのに誰かの手を借りなければならないとき、ぐいと引っ張られるのではなく、そっと手を差し伸べてもらえたら自分の意思と行動が少し近づき安心するのではないでしょうか。

 

 時間の流れ方や物事の考え方は、生きてきた世代に影響されると思います。この大量消費の世界に慣れている私たちは、無意識のうちにものを粗末に扱っています。多くのお年寄りは、もったいなくて物を捨てられません。生きてきた社会環境が違いますから、自分からあまり要求しません。本当はこうしてほしいのに、でも、みんな忙しそうだから、お世話になっているからと我慢し、半分諦めてしまいます。

 

 少し若い世代のお年寄りは、自己主張がはっきりしています。世代が変わると価値観も変わってきます。その人の生活歴を知ることはとても大切なことだと思います。

生活行為の介助

 介護が必要になると「こども扱い」されているように感じることがあります。特に排せつと食事は、介助する側も受ける側もこども扱いしている、されていると感じているのではないでしょうか。

 

 介護を受ける者にとって一番つらいことは、排せつの介助でしょう。ギリギリまで我慢して失敗してしまい、さらに屈辱感を味わう。尿意、便意があっても間に合わないからとおむつを使わなければならない。本当につらい思いをしていると思います。

 

 また、食事を食べこぼしてしまうとき、まず食器、テーブル、いすの工夫などはできないでしょうか。エプロンをつけられスプーンで口に運ばれる。周りの目が気になっておいしくありません。

 

 自分から「こうしたい」「こうしないで」と言わない人たちは、不満がないからでしょうか。今思うようにできなくなってきたことは「かつて自分でしていたことだ」ということを改めて考えていく必要があると思います。

施設での生活

 自分の家で暮らしている多くの人たちは「施設に入りたくない」と思っています。できるだけ自分の家で暮らしたいのです。そこは、自分の居場所だからです。施設の中では「集団生活、みな同じ」になりがちです。一人ではない集団生活の楽しさもありますが、自分の時間、居場所は大切にしたいと思っています。生活環境も価値観も一人ひとり違う、この私を大切に思ってくれるかどうかを常に感じています。

 

 介護の世界はしなければならないことが山ほどあって本当に忙しい毎日です。だから、この便利な世の中で整理できることは簡略化し、目の前のお年寄りと関わるときに相手が安心できる対応をすることに力を注ぎたいと思います。

 

 時間がかかる、勘違いが起こる、できると思っているができない。お年寄りがそんな思いをしなくても済むように必要な援助をするのが、介護に関わる私たちの役割だと思います。それぞれが置かれた立場で、知識と技術と寄り添う気持ちを差し伸べる手に乗せて関わっていきたいものです。

 

筆者=江連素実 アビリティーズ・ケアネット リハビリセンター長

監修=稲川利光 令和健康科学大学リハビリテーション学部長。カマチグループ関東本部リハビリテーション統括本部長

 

福祉新聞の購読はこちら