母の手〈高齢者のリハビリ 57回〉
2023年08月18日 福祉新聞編集部父母のこと
父は慢性硬膜下血腫で緊急入院し、手術を受け、手術後は自宅に帰りたい一心でリハビリをしました。セラピストは父の希望を叶えるべく、丁寧にリハビリをしてくれました。
父が退院して自宅に戻りデイサービスに通い始めて間もなくのこと、訪れた私に、父は「空き缶ボウリングで一等賞取った!」と折り紙で作った金メダルを首から下げ、自慢げに見せてくれました。父が亡くなって久しくなりますが、あの金メダルを見せてくれた時の父の笑顔がまぶたに浮かびます。
父が亡くなってから数年後、母の認知症が進みました。自宅療養は難しく、博多の施設に入所。私が施設に行くと、スタッフの人たちは「利光さんが来んしゃったよう、良かったねえ!」と母と一緒に喜んでくれました。
遠く離れて
私は大学進学で故郷を離れました。卒業後は父母の暮らす博多で仕事をしたいという気持ちを抱きながらも、東京の病院でリハビリ医として勤務する年月が過ぎていきました。
たくさんの患者のリハビリに関わりながら、老いて不自由な体になっていく両親には何もしてあげられず、とても申し訳ないことだといつも思ってきました。
そんな思いの中、ありがたかったことは、父の時も母の時も、病院や施設の人たちが丁寧にやさしく接してくれていたことでした。「周囲の人たちにやさしくしてもらっている……」。それを思うと私は救われた気持ちになりました。そして、私も目の前の人にやさしく接しよう、という気持ちがより強くなりました。
優しく、温かい
新型コロナのまん延で、施設では面会がほとんどできなくなりました。家族との面会は月1回、玄関ドアのガラス越しに10分以内という規則が施設にありましたが、施設の人は遠方から来た私をそっと母に会わせてくれました。私の声が母に聞こえやすいように、自動ドアの扉を少し開き、ドアの隙間から手を伸ばす母の手に触れさせてもらえました。苦労して私たち兄弟を育ててくれた母の手は柔らかく、優しく、とても温かいものでした。
「母ちゃん、元気にしとってね。そばに居おれんでごめんね。また来るけんね」。そう言って私は母の手をさすりました。すると、母はその手を自分の胸に当て、祈るように目を閉じていました。
会えることができない、一緒に過ごすことができないことの寂しさを母は何も言わず、じっと我慢していたのだと思います、残された時間が刻々と短くなっていく中、そばに居られない無念さを私たち兄弟も痛いほど感じました。
今を大切に
その後、母は誤嚥ごえん性肺炎を発症して近くの診療所に入院し、そのまま旅立っていきました。入院していた診療所ではコロナ禍ではありましたが、最期まで、私たち兄弟の面会を許してくれました。
祖父母との別れ、そして両親との別れ、かけがえのない人たちが旅立っていきます。そのうちに、自分も愛する家族と別れる日が訪れます。
その日を迎えるまで、人にやさしく、今を大切にしていけたら、と思います。
筆者=稲川利光 令和健康科学大学リハビリテーション学部長。カマチグループ関東本部リハビリテーション統括本部長