〈論説〉戦後80年と社会保障 長い歩みから学ぶこと

2025年0726 福祉新聞編集部

1945年8月15日の敗戦から80年の歳月が流れた。長く激しい歴史展開の渦中で、社会保障の諸制度はどう歩んだのか。

列島に飢餓が広がる46年、生活保護法が制定された。初の近代的な「救貧法」だが、保護を拒否された際や保護内容に不満な際の不服申し立て権が明記されない欠陥があった。

50年、新・生活保護法に改定されたが、60年代へ続く「朝日訴訟」の争点は、憲法25条「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」だった。当時の日用品費では1年間パンツ1枚、タオル2枚しか買えず、人権を問う「人間裁判」と呼ばれた。

第一審は原告(朝日茂氏)勝訴、第二審は敗訴、原告の死去で最高裁は継続を認めず実質敗訴に終わる。

この6月27日、最高裁は、生活保護費の大幅引き下げ(2013~15年)を「違法」と断じた。司法の存在意義を示したが、25条の具体化をめぐる対立は、重低音のように鳴りやまない。

高度経済成長期の1961年度から「国民皆保険」と「国民皆年金」が始まる。

農林水産業や商工業で3000万人を数えた無保険者を市町村の「国民健康保険」に強制加入させた。同時に自営業者らの「国民年金」をつくり、成人のほぼ全員を年金に加入させた。

この病気や老後に備える社会保険方式の「防貧」制度が整えられていく。

だが、70年前後から、人工透析を受ける腎不全患者の自己負担が重く「金の切れ目が命の切れ目」の悲劇が多発した。一定の自己負担で済む「高額療養費制度」が73~75年に順次設けられた。

昨年来、医療の高度化・高額化を背景に政府は高額療養費の自己負担の大幅増を図ったが、患者らの猛反発で撤回、再検討される。

国民年金は農林水産業の衰退などで加入者が減り続けた。その再建策で86年度には「職業を問わず老後の基本的な保障を平等に」と、厚生年金や共済年金の加入者も一緒に入る「基礎年金」へ切り換えられた。

2024年の財政検証で基礎年金は先行きの給付が現在の3割減に落ち込むと予測された。与野党の駆け引きの末、厚生年金の積立金活用による歯止め策や公費拡充策は5年後の財政検証まで先送りされた。

引退世代が年金から保険料を払える時代を迎え、介護保険は00年度に施行された。要介護者の急増で財政は苦しく、昨年の介護報酬改定では、在宅サービスの代表「訪問介護」の単価が切り下げられた。訪問介護事業所の倒産・休業は史上最多、訪問介護の存在しない自治体さえ出始めた。

生活保護から介護まで戦後80年の節目に亀裂や沈下が生じるのはなぜか。

制度の創設期も発展期も、「政治」はいかに負担し合うかを考え、実行してきたことを思い出すべきだ。


みやたけ・ごう 毎日新聞論説副委員長から埼玉県立大、目白大大学院の教授などを経て現職

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