社会福祉法人風土記<24>伊賀市社会事業協会 中 親子が共に育つ保育園づくり
2017年06月12日 福祉新聞編集部最も古い上野徳居町の「曙保育園」は1948(昭和23)年、上野市社会事業協会創立と同時に上野市幼児園の経営が引き継がれて生まれたもので、現在の地は3度目の移転先。かつて地元で養蚕業を営んでいた押坂家の屋敷を1998(平成10)年に譲り受け新築。押坂家の名は草創期の手書きの協会委員名簿にあった。
また敷地の一画に町自治会が建てた「鬼蔵」には、園児にもなじみ深い上野天神祭の鬼行列に使われる面が所蔵されている。鬼行列はダンジリ(楼車)と共に、2016(平成28)年ユネスコ無形文化遺産に。「初めに曙保育園のあった忍町、紺屋町あたりは商店、旅館、飲食店、八百屋などいろいろな家業があり、内職をする人のお子さんも園児でした」と森岡佑子元園長(74)は語った。18歳で亀山市の保母養成学校に通い、卒業してすぐの1962(昭和37)年に就職。2003(平成15)年までの42年間を勤め上げ、現在は園内の蔵を改装した「児童クラブ」で指導員として活躍している。
現在の園の様子を田矢文子園長(62)は、「街が変化していますので、遠くからも来られるようになりました。家族構成も変化しました。また三代にわたって来られる家もあります。この保育園の方針は〝子どもに向き合う気持ち、寄り添う気持ちを大事に〟。何よりも子どもが笑顔でいてくれることが大切だと思います。保育士は私を筆頭に子どもの〝つぶやき〟を聞き逃さないことを合言葉にしています」と話し、園内にある〝つぶやき〟満載の掲示板を指した。
当園児が平成28年度芭蕉翁献詠俳句の特選に選ばれた。〈ひやけして パパがいちばん まっくろけ〉。長田保育園(1958年開園)からは〈ふわふわの べにばなトゲが まもってる〉。
松尾芭蕉翁の高第・各務支考に「俳諧は無分別のところにありて理屈なし」(『続五論』)という至言がある。その通りの心優しい感性が育っているようだ。園長は「うれしいことです」とつぶやいた。
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2002(平成14)年に新しい団地内に開所した公設民営の「ゆめが丘保育所」を訪ねた。1997(平成9)年に入居が始まったこの団地は、640世帯4750人が住む所となっている。
「そこから、4歳以上90人、0〜3歳83人合わせて173人をお預かりしています。〝温かい保育〟を保育士のみんなと心掛けています。それは保育士が声を掛けられやすいように。保育士は聞けるようにいつもいるということです。園児だけではなく保護者からもですね」と松山久美子所長(52)はほほえみながら語った。「通園路、小学校の通学路の辻に立っていると隣接の小学校に通う卒園児の成長が見られるのも喜びです」と加えた。
保育士の嶋津めぐみさん(26)は、「小さい時からこの道(保育)と決めて大学でも学びました。小さい子どもが成長して行くのを間近で見られることはうれしいことです。ただ、悩んだり失敗したりもします。そんなときは母が言ってくれた言葉を励みにして乗り切ってきました」と5年間を振り返った。
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協会が力を入れる食育。保育園全体の食育を担っている薮内洋子管理栄養士(56)は具体的に語った。
「和食離れするなか、『和食』がユネスコ無形文化遺産に2013(平成25)年に登録されたことにも触発され、今まで以上に力を入れ、だしは昆布と鰹節を使い『旨味』(文化遺産の重要要素)にしています。食材も可能な限り地場産を。園内の菜園で子どもが作る野菜も。この年頃は味覚形成ができる大切な時期です。朝食抜きの子どもは伊賀にもいます。お母さんが忙しいのでしょう。朝簡単に作れるレシピをお母さんに配布しています」。
その日の献立を子どもと保護者が一緒に見られるように、テラスの一画に掲示板と実物入りのケースが設置されている。また、毎月保護者に配布される『給食だより』に「日本の食文化を伝承していくために行事食を取り入れています」とあった。その献立表には「うのはな」「わかたけじる」「はるごぼうのきんぴら」など季節のものが彩り良く並んでいる。
芭蕉翁が最晩年に伊賀に戻ってしたためた『月見の献立』(1694・元禄7年)には「芋煮〆」「のっぺいしょうがゆ(湯)」「ごぼう」など、伊賀の野菜が並ぶ。いずれも時代は変わっても伊賀の食文化が投影されている。
【高野 進】