社会福祉法人風土記<26>慈愛園 下 「ゆりかご」から看取りまで
2017年08月28日 福祉新聞編集部老いを支える老人福祉法が成立したのは1963(昭和38)年。慈愛園の創始者モード・パウラス(1889~1980年)が日本を去って4年後のこと。園の老人ホーム「パウラスホーム」も西日本第1号の特養として再スタートした。
その10年前。潮谷総一郎・慈愛園長(1913~2001年)、そして当時、熊本市内の別の養老院長だった杉村春三(故人)から斬新なアイデアが示された。「老人福祉法試案」。
戦後、家族制度は壊れ、老いをインフレが直撃した。特に終末期の虚弱なお年寄りをどう処遇すべきか。住む場所を、国庫から老人医療費や老齢福祉年金を、といった共同案(全50条)を2人は九州社会福祉協議会連合会などを通して提起したのである。「時期尚早」。政府は歯牙にもかけなかったらしい。だが、風はそろりと吹き出す。
愛媛県出身で九州大を卒業、海軍省へ入った杉村も南方戦線からの復員組。海外の福祉関係文献に詳しく、「パラ・メヂカル〔看護師など医師以外の従事者〕の原理にしたがって働き易い職場の育成」(『熊本縣社会事業史稿』)を説いた。1958年に総一郎の後任園長として老人ホームへ迎えられ80年まで務めた信条は、キュア(治療)よりケア(看護・介護)を――。
「ホーム定員80人の平均介護度はいま約4・5。もともと虚弱なお年寄りを多く預かり、夜も看護職がいて介護職と共に看み取とりをしてきた」と石川光男施設長(65)。看護老人ホームの看板で始まった息吹を今なお残す。
塀のない大型施設
福祉ニーズへの応答は、事業を社会へ開くことに他ならない。熊本ライトハウス(障害児入所施設)や子供ホーム(児童養護施設)でボーイスカウト・ガールスカウト団を組織したことも。1983年までの30年間、熊本市民のオアシス・江津湖畔に子供ホーム分園「臨泉亭」を開いてもいる。〝施設を地域へ〟の先駆的取り組みであった。
子供ホームの緒方健一園長(60)は、「利用者が園に閉じこもらぬよう心掛けている。園内には乳児院、幼稚園、子供ホーム、老人ホーム、教会などあるが、ぐるりに塀はない。4カ所の門は誰にも通行自由な近道です」と笑う。
地域になじんでいく姿をパウラスは50周年(1969年)と60周年(79年)の記念式典に短期間来日、見聞している。80年に91歳で召天するが、この時期をはさんで実務は総一郎から長男の愛一さん(77)と妻・義子さん(78)へバトンタッチされていく。日本社会事業大学(東京)で出会い、戦災孤児を育てる別府平和園(大分県)で働く夫、佐賀県社会福祉主事だった妻として卒業2年後に結ばれた仲だ。
2人はやがて熊本へ移る。米国への里親運動(現在は休止)などに尽くした義子さんは乳児ホーム園長から県副知事へ、そして2000年から2期8年は県知事に。「虐待死など出したらみなさん減給ですよ」と冗談交じりに県の福祉職へハッパをかけたとか。今は母校の理事長である。
懸案は少なくない。特に昨年4月の熊本地震被害は大きかった。乳児ホームの建物にひびが入った。熊本ライトハウスの2階建て食堂棟には赤紙(危険)がぺたり。全部壊し建て替え中だ。熊本ライトハウスのぞみホーム(障害者支援施設・定員40人)ならびに併設の熊本ライトハウス(定員20人)の入所者計約60人は集会室に設けた〝臨時食堂〟で2部制の食事でしのぐ(今秋完成予定)。
「法人はホーム別の独立会計方式。少ない内部留保をほとんど崩して造り直しです」と内田稔光施設長(60)。視覚のほか精神などの重複障害、発達障害が増え、重度化、高齢化も進む。「自立?なかなか難しくて…」。心なしか言いよどんだ。
一方で地震は地域とのつながりを改めて示した。ライトハウスの多目的交流センターは福祉避難所としてピーク時28人、最長約80日間、住民や職員家族を受け入れた。子供ホームの中高生約15人は近くの避難所(市立砂取小)で炊き出しや傾聴ボランティアに加わった。
「よく避難訓練の時に『自分の命は自分で守る』と言われていますが、僕は『自分の命は自分で守るのが当たり前なら、次は人の命を守ることも大切』と、これを書きながら考えました」(子供ホーム・乳児ホーム機関誌『きっず』2016年6月30日号)。余震におびえるおばあさんと会話の時を過ごした中2男子は、心の変化をこうまとめた。
赤ちゃんポスト
もう一つ忘れてならない社会とのつながりは「こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト)。熊本市の民間病院が日本で最初に開設して今年4月、丸10年を迎えた。2015年3月まで預かった赤ちゃんは125人。育児は慈愛園乳児ホームなど県内3施設へ託す。出自は明かさない。つまり戸籍上、両親の欄は空白のまま。
「もの心がつくと、園へたずねてくる。『わたしはだれ?』と。そのとき『あなたはこうして大事に育てられたんだよ』と分かるライフヒストリーづくりを始めました。英国でやられている手法です」。そう言いながら、潮谷佳男園長(48)は子どもの成長の足どりを写真などで編集した数冊のアルバムを見せてくれた。愛一さんの次男である。
ニーズをいかに権利へ近付けるか。そのためにパウラスが熊本に一歩を印してから2019年で100年目。就任して4年、全職員と面談した内村公春理事長(68)=九州ルーテル学院長=は、「『園はひとつ』の思いを新たに、これからも優れた人材を集めていきたい」と記念行事づくりに取りかかっている。
【横田一】