社会福祉法人風土記<26>慈愛園 上 クライアント・センタード貫く

2017年0807 福祉新聞編集部
開設して間もないころの慈愛園

安巳橋(別名・安政橋)は、熊本市の中心部を流れる白川にかかる橋の一つである。江戸時代の1857(安政4)年にでき3年後、安巳橋と改められた。西南の役(1877年)では官軍・薩軍双方が通った両岸はいま静かなマンション街だが、この橋の下や河川敷には長い間、野宿者らがたむろしていたという。

 

この一帯を米国人宣教師モード・パウラス(1889~1980年)がおにぎりと焼き芋を配り歩いたのは熊本着任間もない1920(大正9)年秋である。2年前の来日時、全国を揺るがした米騒動の余燼は女性の人身売買などの姿でなおも各地にくすぶっていた。湿った土の上に敷いた布団にくるまり熱にあえぐ結核末期の男性、アルコール中毒の夫から逃れた女性、ハンセン病の患者らを前に自著『愛と福祉のはざまに』(聖文舎)でこう自問している。

 

「わたしの心は混乱していた。――わたしは、慈善のワーカーとして出会うすべての問題に対処していく忍耐があるだろうか」

 

40余年を日本で過ごし、社会福祉法人慈愛園の創設者として日本人を力づけ続けた社会事業家の31歳の不安であった。

 

モード・パウラス

子ども、老人、婦人

 

モードは米ノースカロライナ州のプロテスタント(ルター派)の農家に1男8女の5女として生まれた。大家族だ。11歳のとき、佐賀県で幼稚園を営む宣教師の伝道報告(孤児救済)を読み、日本行きを決意している。大学で社会学を学び、高校の教壇に立ったあと神学校へ通い、1918年9月、横浜港へ上陸した。宣教を夢見て。

 

福岡市で翌年、教派の会合があり、三つの課題を決めた。貧しく身寄りのない子ども、家庭を失ったお年寄り、余儀なく身売りする女性に対する救援。その白羽の矢はモードに、舞台は熊本であった。

 

熊本洋学校やキリスト教徒の熊本バンドで知られる火の国では、イギリス聖公会のハンナ・リデル女史(1855~1932年)がハンセン病患者救済(回春病院)に活発に動いていた。ルター派の活動は後塵を拝していたという。白川にほど近い宣教師館へ落ち着くや、冒頭で紹介したような忙しい日々が始まった。

 

「コロニー・オブ・メルシー」(慈愛園)と心の中で名付けた宣教師館には既に3人の乳幼児、苦界を逃れた10代の娘らが身を寄せていた。家のない85歳のおじいさんが一宿一飯を乞うて門をたたく。日本人保母らによる世話もそろそろ限界であった。

 

要請を受けた本国の教会・信徒の寄付により、約3キロ離れた現在地(旧・健軍村内の農地約2万3000平方メートル)を入手。宣教師館新築に充てる費用も注ぎ込んで幼児、老人、婦人の3ホームを建て、「慈愛園」を落成したのは1923(大正12)年春であった。

 

真骨頂は子供ホームに小舎制を導入したことだろう。1舎に保母1人と8人の子ども。先駆的な試みを見に地元の新聞記者が足を運んできた。

 

貧しいながらも自給自足の家庭的な平和を――モードの信条である。1927(昭和2)年に病児の部屋、28年には乳児ホーム、29年はクロンク幼稚園〔現名称は認定こども園「神水幼稚園」(牧野恵子園長)、国登録有形文化財〕と広げていく。園地にニワトリ、ブタ、ヤギ、乳牛の飼育場も設けた。ミルクは栄養源となり、来客へ出すクッキーに使われた。

 

 

これは戦前のことだが、「ブタも解体できました。農家育ちなのでやり方を知っていた」と元・子供ホーム園長の潮谷愛一(77)。戦後、園躍進の原動力となった第4代慈愛園長、潮谷総一郎(1913~2001年)の長男で、園育ちである。

 

潮谷総一郎
第4代慈愛園長

 

西洋人の奉仕に一部から冷たい視線を投げられもしたが、「発展はすばらしく、すべては急速な変わりようであった」(モードの自著から)。

 

それに協力したのはモードのすぐ下の妹エーネ・パウラス(1891~1978年)だ。米コロンビア大学で幼児教育を学び、隣の佐賀県でルーテル教会に関連した幼稚園で働いていた。餓死寸前の赤ちゃんを姉の元へ連れてきたのをきっかけに、自身も1926年に慈愛園婦人ホームへ引っ越してきたのである。

 

クロンク幼稚園の設計図面をひいたのもエーネである。その後、彼女は千葉県へ拠点を移し、やがてベタニヤホームへと発展する虚弱児童養護所(市川市)を1931年に立ち上げている。

 

虹の彼方に

 

一方で、モードは若い女性の〝解放〟に奔走する。苦界へ連れ戻そうと園へ押しかけ、裁判に訴える遊郭の主らと渡り合う。身受け金を払ってさえいる。貧苦を癒やすため、できることはなんでもした。口ぐせである「クライアント・センタード(対象者中心主義)」通りに。

 

ある日、モードは保母とおにぎりなどを配り終え、安巳橋を渡って帰る途中、夕霧の中にかかる虹を見た。保母が声を上げた。

 

「先生、あそこにあなたの幸運があります」「いつかきっと、きょうよりも明るい日が来ますように」

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慈愛園=乳児院、児童養護施設、病児デイケア、軽費・養護・特養の老人ホーム、保育所、障害児入所施設、障害者支援施設の計12施設を運営する総合的な社会事業団。理事長は内村公春・九州ルーテル学院長、職員310人、本部・熊本市中央区神水。

 

【横田一】