社会福祉法人風土記<22>佛子園 下 「Share金沢」 新しい街づくり

2017年0410 福祉新聞編集部
レストランの手書き看板

金沢市若松町の「Share金沢」は、2014(平成26)年に浅野川沿いの卯辰丘陵の上に造った新しい街。敷地は独立行政法人国立病院機構から取得した旧国立金沢若松病院跡地で、広さは東京ドーム(後楽園)に匹敵する樹木の豊かなところである。

 

この総合福祉施設の街・日本版CCRC(リタイアした高齢者のための生涯活躍のまち。1970年代にアメリカで始まったシステム)で、現在、福祉分野だけではなく医療分野、街づくりの視点からも注目されている。1996(平成8)年の地方自治法によって、国の中核都市の一つに位置付けられた金沢市、ここが完成するとほぼ同時に市の児童入所施設として契約を結んだ。 施設の敷地は大きく五つの地区で構成されている。その一つに地元大学生向けの賃貸住宅がある。大学生の力は施設運営には欠かせないと、法人常務理事で施設長の奥村俊哉さん(53)は、顔をほころばす。

 

奥村俊哉 常務理事施設長

 

「40人のスタッフで運営しています。『人がつながり、支え合い、共に暮らす街。かつ良いコミュニティーを再生させる街』ということを方針として運営しているのですが、ここに地域の高齢の人、障害のある人、その家族の皆さんが、施設に住む皆さんと同じように集まってもらえなければ、絵に描いた餅になってしまいます。レストランの大きな案内板は美大生が作ってくれました。ここに来る地域の人には知恵をもらっています。採れたて野菜の販売もその一つです」。

 

続けて「最近、ママ友が集まってくれるようになりました。障害のあるなしに関係なく、子どもは元気に走り回ります(笑)。障害のある子が時々大きな声を出したりしても、すぐに慣れて声がしても誰も振り返りません。それはその子の一つの表現だと理解されるからですね。親としては周りに気兼ねなく食事ができることと、子どもがいろいろな人から声を掛けられ、幸せそうにしている姿を見られるのが『親の幸せです』と言われます」。

 

今の世の中、優しさがなくなってきたというが、施設内のレストランでこんな光景に出合った。高齢の男性がカウンターに座って、中の女性に声を掛けた。「息子さん、元気にしているね」。「はい、うれしいです。家にこもっていたら駄目でした。ここに来るようになって、皆さんに声を掛けてもらっているおかげです」と女性はほほ笑んだ。実はこの息子さんは、「Share金沢」の放課後等デイサービス(障害児の学童保育)を利用し、お母さんはレストランでパート勤務をしているということであった。

 

■交流人口が増加

 

雄谷良成理事長は興味深い話をした。

 

「法人本部のある行善寺周辺の土地の価値が上がり、人も増えているんです。地域の人たちが、高齢者も障害者も子どももみんな〝ごちゃまぜ〟で生活する魅力を認識してくださったからだと思います。野田の西圓寺の場合は、そこを基点としていろいろな人たちが行き交うようになりました。これを交流人口の増加と受け取っています」。

 

ここで2人の「佛子園」職員に〝ごちゃまぜ〟について聞いてみた。

 

B’s行善寺の速水健二代表の話。

 

「ごちゃまぜとは、人と人がつながり、共感をもっていく行為だと捉えています。私の仕事はそのきっかけをつくることです」。

 

そば処で1年前から働く40代女性の話。

 

「いろいろな人がいらっしゃいますので、いつでもその対応ができるように心掛けています。それがやりがいでもあります」。

 

ところで、「佛子園」はこれから何を目指そうとしているのか、雄谷理事長に尋ねた。

 

「60年の実践の中で、『ごちゃまぜ』が形作られてきました。これは『佛子園』にとって一つのプロセスです。今、時代の大きな転換期を迎え、福祉、医療もまさにそこにあります。消費経済によって合理化、分業化、タテ割り化が加速しました。その中で失われた大きなものが地域のつながり。そのタテ、ヨコ、ナナメのつながりを今、取り戻し、地域の再生を図りたい。また、措置とか保護とか契約とかの時代を経て、地域で誰しもが参加する福祉の時代が来ました。それは、福祉も医療も専門家だけでやる時代ではなくなったからだと思います。この波を福祉の〝第三の波〟と名付けたいのです」と思いを込めて語る。

 

「佛子園」は今、〝第三の波〟を標榜して動き出した。

 

【高野進】