集団養育でたくましく 〈成光学園・神奈川、円福寺愛育園・長野〉

2025年0824 福祉新聞編集部
高校生から小学生まで一緒にカードゲーム=成光学園で

大人数の中でたくましく生きる力を――。こんな発想にこだわり、少人数の家庭的な養育ではなく、大舎制あるいは中舎制をとる児童養護施設がある。多様性を重んじつつ心安らぐ居場所に、をモットーに。

神奈川県座間市の社会福祉法人成光福祉会(矢部雅文理事長)の学童寮(鉄骨2階建て)は「くの字」形の変わった構造だ。とがった〝山〟の辺りで間仕切りできる造りになっている。ボードをセットすれば各階とも両ウイング二つのユニット、1、2階合わせて四つのユニットに早変わり。それぞれ台所、大きなテーブル、テレビ、風呂やトイレ、出入り口まである。

「2007年に建て直した時、小舎制でないと補助金は下りないと言われた。県の担当者と知恵を絞り、大舎にも小舎にもなる設計にしました。往来は自由です」と矢部理事長(51)は苦笑する。中学校などで国語を2年間教え、09年に第2代として現ポストに。

小学1年生から高校3年生まで、女子は1階、男子は2階に分かれ計47人が2~3人部屋や個室で暮らす。学校の部活動やアルバイトで遅くなる生徒もいるが、下校後や休日は6~18歳の異年齢集団でにぎやかだ。食事は別棟の広い食堂に全員が集まり、食堂職員の休日には各ユニットで食べることも。

〝ユニット〟のフロアの壁には、寮生の参加したさまざまな大会のトロフィー、学校でもらった賞状などが並んで置かれている。中学を卒業し社会へ出て働く子を応援する「卒業生送別マラソン大会」(神奈川県児童福祉施設職員研究会主催)、座間地域に多い坂道を生かした小学生以上の「ZAMA坂道マラソン大会」(座間青年会議所主催)など多彩だ。寮で16年過ごし、来春卒園する予定の高3男子は「ここでの生活は楽しい」「食事もおいしい」と話す。

集団養育にこだわる理由は何か。矢部理事長は「家庭という小集団でうまくいかなかった子が少なくありません。その子がもし性格の合わない小集団に入って関係を築けなければ、逃げ場がなくなってしまう」と言う。さらに、「男女一緒の大舎では多様な人と出会える。選択の幅が広がります」と強調した。

長野市の社会福祉法人円福会の円福寺愛育園は中舎制をとる。藤本光世理事長(77)=元県松本深志高校長、住職=は、自身が同園で成長した体験をもとに、「こども社会は力や声の大きい子の集団支配になりがち。逆に力のピラミッドをなくした大きな、よいこども集団ではこども同士がよい影響を及ぼし合う」とメリットを指摘。その上で「家で生活が乱れていた子(例えば寝坊な子)も朝6時起床に自分で起きるなど、こども同士の育ち合いが生まれ、やがて自分をよくするようになっていく。その変化にはすごいものがある。そうした環境をつくるには、みんなで楽しいことをたくさんし、施設も職員も社会に対して〝開かれた養育〟をしていくことだ」と提言している。


児童福祉施設 大舎制(一つの建物に20人以上。大きな食堂を併設)、中舎制(1ユニットに13~19人)、小舎制(12人以下)、グループホーム(民間住宅などで4~6人が生活)に分かれる。

成光学園 理事長の祖父(矢部皖一初代理事長)の兄が、1939年に現在地で青少年の鍛錬と食料増産のために農場を開いたのが初め。戦災孤児やホームレスのこどもを引き取り、米軍などの支援を受け、47年から司法保護団体(財団法人座間農場)として触法少年らの更生にあたった。49年成光学園を開設、2004年社会福祉法人へ。職員20人。

円福寺愛育園 上野駅に群れる戦災孤児3人を1947年、初代の藤本幸邦理事長(円福寺住職)が自ら寺へ連れ帰ったことに始まる。当時、戦災孤児は12万人と言われ「全国の寺院が一人ずつ引き受ければなくなる」と一寺院一孤児運動を提唱した。48年創立、65年に財団法人、77年社会福祉法人に。未就学児から高校生まで28人が生活。職員26人。

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