石井十次の生きざま楽曲に 石井記念友愛社創立80周年(宮崎・高鍋町)
2025年08月31日 福祉新聞編集部
幾千もの孤児に生涯寄り添った石井十次(1865~1914)の生きざまを表した楽曲が、十次の故郷、宮崎県高鍋町で生まれた。「為せよ屈するなかれ」。十次の言葉を題材に、高鍋町長の黒木敏之さんが作詞作曲。8月24日に行われた石井記念友愛社創立80周年記念の石井十次セミナーで初演された。児嶋草次郎理事長は「涙が出そうになりました」。黒木さんは「つらいとき、この曲を口ずさんで乗り越えてほしい」。こどもたちへの思いが会場に共鳴した。
突然の展開だった。セミナーの前に組まれた地元の中学、高校生らで組織した「藩校ブラスアカデミー」のブラスバンド演奏の指揮棒を止めて、馬込勇さん(平成音楽大教授)が話し始めた。
時重なれば~必ず成らん
「今日は特別な企画があります。高鍋に、石井十次先生のモットーだった『為せよ屈するなかれ』を作詞作曲された方がいます。平成音楽大の先生たちの管楽器とソプラノ歌手の方にお願いして、今から演奏させてもらいます」
会場は一瞬、静まり返った。雅楽のような滑り出し。♪こどもたちに伝えたいことがある~と歌い出し、最後に♪為せよ屈するなかれ時重なればそのこと必ず成らん~と語りかけた。
4分26秒。
「君がいつか迷ったとき、苦しく立ち止まったとき、同じ高鍋出身の十次の精神を思い起こそう。屈せずに立ち向かい、そのことを成そう」
そんな思いが、力強く、美しく響いた。
メロディーなら伝わりやすい
町長の黒木さんは、馬込さんに促されて立ち上がった。深々とお辞儀をすると、大きな拍手に包まれた。
「『為せよ屈するなかれ』の言葉は、標語のように町内で掲示されています。メロディーにすると、もっとこどもたちに届くのではと思って、作りました。今回、馬込先生の耳にとまり、初披露となりました」
昨年10月から歌詞を作り始めて、今年の初めに曲ができたという。
「人生、山あり谷あり。つらいときに思い出して歌ってもらい、不屈の魂で生きてほしいですね」
立ち上がって聞いていた児嶋理事長は、戦後に作られた「石井十次の歌」があることに言及した。幼い時の友へのいたわりや、岡山孤児院の開設、理想郷を求めて郷里の茶臼原を開墾して岡山から移ったことなどをつづった曲だ。
「十次の生涯を振り返り、たたえる歌でした。今回は、十次の生きざまを伝える歌ですね。こどもたちは、屈してしまいそうな大変なことに向き合うことが多いので、とても励みになる。感動しました」
危機救った少年音楽隊
実は、十次と音楽は切っても切り離せない。馬込さんはステージで紹介した。 「日本で最初に少年たちに吹奏楽を伝えたのは石井十次先生でした」
十次は1887年に、岡山孤児院の前身の「孤児教育会」を創設した。寄付が頼りの運営だった。98年に音楽幻燈隊をつくって広島県尾道市で初公演。5年後に油が光源だった幻燈機を活動写真機に代えて、1908年まで国内だけでなく海外を演奏旅行。孤児院の暮らしを映像で説明して、寄付を集めた。
その黎明期に、十次が少年たちに吹奏楽を紹介したのだという。05年1月に「孤児無制限収容」を宣言、その年に起きた東北大凶作による孤児救済を進めて1200人を収容、経営難に陥った時に救われたのも、音楽隊の活動だった。
08年の米紙に「アジア最大の孤児院」として紹介されている。
児童福祉の父、石井十次の生きざまを伝える楽曲の登場は今後、理念を伝える手段としても、新たなハーモニーを奏でていくかもしれない。