能登地震から1年 運営続く福祉避難所 要介護者、地域に戻れず
2025年01月17日 福祉新聞編集部2024年1月1日の能登半島地震から1年たった今も運営している福祉避難所がある。石川県輪島市の障害者グループホーム「海と空」(社会福祉法人弘和会、畝和弘理事長)だ。1階の地域交流ホールでは介護が必要な高齢者ら10人が段ボールベッドで寝泊まりしている。食事スペースは十分になく、プライバシーも確保されない暮らしが続いている。
同法人は輪島市内では障害福祉サービス、在宅介護サービスを中心に10事業を展開していたが、現在運営しているのは5事業のみ。その一つである海と空は2階で障害者グループホームを運営し、1階が福祉避難所になっている。
避難生活を送る介護が必要な高齢者は、同法人の定期巡回・随時対応型訪問介護看護「コールナウみんなの詩」を利用するなどして、食事や入浴、生活の支援を受けている。最高齢は100歳。外出して行方不明になった認知症の人もいるため、職員は目が離せない。
昨夏ごろには避難者が減り、福祉避難所の閉鎖を考えていた矢先、豪雨災害が起き、また避難者が増えた。現在、約8割が豪雨災害の避難者だ。
応援職員が駆け付けたり、地域住民がボランティアで食事を作ってくれたりする中、法人の職員が交代で常駐するようにしている。しかし、震災後に49人が離職してしまい、人手が足りない。地震、豪雨と災害が相次ぎ、職員の心身の疲労も蓄積している。
避難生活を送る高齢者の中には、仮設住宅に移ったが1人で生活できずに戻ってきた人もいる。みんなの詩管理者の鬼平晶子さんは「ここにいる避難者は1人暮らしが難しい。支援から取り残されている人たち」だと言う。市内の介護サービスはまだ十分に戻っておらず、安心して暮らせる場所が確保できなければ福祉避難所から送り出すことはできない。
被災地の実情知って
法人の収益は震災前に比べて2000万円以上減った。畝理事長は「今までのような事業はできない。どう縮小しながら経営していくか」だと話す。災害から1年が過ぎ、復興が遅れていることも指摘する畝理事長。「道路などの公共事業と同じように福祉も早く復旧しなければ戻ってきた高齢者や障害者をケアできない」と強調。被災地の実情に沿った災害支援策を講じるよう求めている。