新春インタビュー 佐竹昇平・さがみ野ホーム施設長 職員の地位向上が重要

2024年0111 福祉新聞編集部
佐竹昇平・さがみ野ホーム施設長

綾瀬市は神奈川県の中央に位置し、人口8万3000人ほど、高齢化率は27・7%です。全国的には厚木基地がある自治体として有名でしょうか。以前はブランド豚「高座豚」の養豚などが盛んな農村地帯でしたが、工場立地や2021年に東名高速道路の綾瀬スマートインターチェンジが開通するなど開発が進み、人口減少は鈍化傾向です。

 

地域福祉を支える動きは活発だと思います。人口流入の影響もあってか民生・児童委員の担い手が増えているとの話も聞きます。コロナ禍では市社会福祉協議会などと連携して生活困窮者らへの食材の無償提供に取り組みました。近隣住民に防災ボランティアとして登録いただき、施設の避難訓練にも参加してもらっています。

 

さがみ野ホームは福祉避難所に登録されており、近隣で在宅生活する障害者らの避難行動要支援者登録も済ませています。ただ、短期入所を経験したことがない人も多く、実際の災害時に安全な受け入れができるのか正直不安があります。

 

災害に限らず、家族が病気などで急に不在になるケースや「8050問題」を見据え、短期入所の体験を促しているのですが、遠慮する人が多いのも事実です。何とか踏み出してもらう方策を考えなくてはなりません。

 

今年から入所定員を50人に引き下げ、短期入所定員を20人に引き上げました。利用者平均年齢72歳のさがみ野ホームでは、入院や死亡で空きが発生する課題があり、その間の空床対策として短期入所などの利用で施設経営を維持させる狙いもあります。

 

人材難も大きな課題です。新卒者の採用が厳しい中、比較的若い未経験の中途採用を育てつつ、資格経験ありの中高年を採用して現場を回しているのが現状です。職員の平均年齢は50歳弱で、70歳を過ぎても現場の第一線で支援に当たる非常勤職員もおり、今後も職員の高齢化は避けられないでしょう。

 

処遇改善も大事ですが、長期的に考えると福祉分野で働く人材の地位向上が最重要事項と考えます。小学生の時に野口英世の伝記本はありましたが、福祉分野の貢献者の伝記本はありませんでした。中学入試や高校受験には福祉に関する設問はありませんでした。小学校から高校と一貫性のある啓蒙活動をもう少し実施していただければと思います。

 

障害福祉サービス報酬の24年度改定では施設から地域移行を促すことが大きなテーマです。脱施設の流れの中、市内では株式会社運営の日中サービス支援型グループホーム(GH)の参入もみられるようになりました。

 

「地域」とは何か、よく考えることがあります。集団で生活することを望む人もいれば、GHやアパートで生活することを希望する人もいるでしょう。大切なことは生活の場を障害者自身が決めることです。施設も含めて「地域」を捉えていくべきだと思いますが、国の議論はそうではないようです。

 

GHでの生活をリタイアした人がさがみ野ホームで一定数生活している現状もあります。建物のバリアフリー化が不十分だったり、食事支援など職員の援助スキルに問題があったりしたそうです。また、施設近くのGHで利用者が孤独死していたケースもありました。GHなどに移行できればそれでOKではなく、生活の質向上につながっているかが何より大切です。聖音会では将来、社会福祉充実計画で県内に体験型GHを新設する方針で、利用者一人ひとりの幸福実現をサポートしていきます。

 

さたけ・しょうへい 神奈川県綾瀬市出身。60歳。法人創設者、佐竹音次郎は曾祖父。父でさがみ野ホーム初代施設長の正道氏が体調を崩したことをきっかけに、食品総合商社を退職して福祉の道へ。県内の児童養護施設、知的障害者支援施設、特別養護老人ホームで経験を積み、2002年から現職。綾瀬市自立支援協議会長や県知的障害高齢者問題研究協議会長を務めている。

 

聖音会 1896年、医師の佐竹音次郎が現在の児童養護施設「鎌倉児童ホーム」の前身である「小児保育院」の看板を掲げ、乳幼児やその母、独居老人、障害者らを自己の医業収入で受け入れたことが始まり。京城(現在のソウル)や台北、大連などにも支部を設立し、海外のこどもたちにも救いの手を伸ばした。1963年に綾瀬市に救護施設綾瀬ホーム(旧綾瀬分園)を設立。翌年、精神薄弱者援護施設に変更認可された。79年、同市内に日本で最も早いと言われる高齢の知的障害者(50歳以上)が入所対象のさがみ野ホームが誕生した。