水俣病慰霊式に願い込めて〈コラム一草一味〉

2025年0518 福祉新聞編集部
潮谷相談役

69回目の「水俣病慰霊式」が行われた。水俣病の理解は進んだか。残念ながら看過できない状況が発生していると私は感じる。

昨年の環境省と患者代表らの懇談会が思い出される。患者代表の発言の途中で突然マイクが切られ、呆然とした表情がテレビに大写しになった。この出来事はマスコミ、県民の方々からの批判にさらされた。水俣病発生の窓口とも言うべき「百間排水口遺構」の撤去意向を水俣市行政が示したことにも異論、反対が出され、ついに熊本県が仲介に入り決着を得た。ある市では水俣病を感染症疾患と認識し、そのまま市民に広報するという大失態もあった。さまざまな看過し難い出来事は、公害の原点、水俣病を背負う人々の存在に他人事としている姿ではないだろうかと気になる。

水俣病が公害の原点と位置付けられていることは広く知られている。故原田正純先生は、1970年3月に実施された「国際シンポジウム」の東京宣言を引用し、「人たる者、誰もが健康や福祉を犯す要因に災いされない環境を享受する権利と将来の世代へ残すべき遺産」として「環境権」に触れている。また、環境福祉学会理事、森本英香氏も「未来を見通す視点」が地球規模で今生きている人たち、そして将来のこどもたちを犠牲にしていないという確約が必要。一人ひとりの真の豊かさを追求する「福祉」と、未来世代を含む人類総体の豊かさを追求する「環境」は一体・連続のものと述べている。

水俣病の真の理解者、吉井正澄氏は2期8年水俣市長を務め、2024年5月31日に逝去された。水俣病被害で分断された市民に〝もやい直し〟を呼び掛け、1992年には全国に先駆けて環境都市づくりの宣言、94年の慰霊式では行政トップとして水俣病問題の対応が不十分だったと市民への謝罪を述べられた。胎児性水俣病の人々が集い、暮らし交流する「ほっとハウス」など、〝公害の水俣市〟から環境の水俣市へと歩み続けられ、官民協同の成果が評価され「日本の環境首都」の称号が与えられた。

今、私が心から願うことは、2009年の水俣病特別措置法に求められている、不知火海沿岸の住民健康調査の実施をされることだ。

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