日本を社会福祉国家に〈コラム一草一味〉

2025年0531 福祉新聞編集部

千葉忠夫 バンクミケルセン記念財団 理事長

社会福祉という言葉はよく聞くが、社会福祉国家という言葉はあまり耳にしない。社会福祉は大別すると児童福祉、障害者福祉、高齢者福祉であり、日本でもそれぞれの分野は世界に劣らないほど発展している。

しかし、日本はいまだかつて社会福祉国家と呼ばれたことは無い。世界で社会福祉国家と呼ばれる国は北欧のフィンランド、ノルウェー、スウェーデン、デンマークくらいだ。北欧諸国は国民の生活をゆりかごから墓場まで保障している。幸せな国と呼ばれるゆえんである。

私は1967年、社会福祉国家の有体を学ぶためデンマークに渡った。人類が到達する「理想の国」は社会福祉国家であると信じて疑わない。それ以降、半世紀以上にわたってデンマークがいかにして社会福祉国家をつくり上げたかを学び、日本に取り入れたいと願ってきた。

日本は経済大国になったが、大きな難題にぶつかり私の願いは遅々として進まない。デンマーク人にできて、日本人にできないのが悔しい。いま一度日本国民に訴えたい。国民が幸せだと思う国は社会福祉国家であり、真の民主主義を体得している国民が築いてることを理解してほしい。

日本も民主主議の国だと思っている人がたくさんいるかもしれないが、残念ながら日本国民は真の民主主義を体得していない。フランス革命でうたわれた民主主議のキーワード「自由、平等、博愛」を身に付けていないのである。博愛は抽象的であるので「共生・連帯」として理解すればよい。国民が真の自由、平等、博愛を身に付けることが課題である。

終戦後一貫してなされた競争原理の教育は日本を経済大国にはしたものの、社会福祉国家には成し得なかった。デンマークは経済大国にはならないまでも、個人当たりの年間総収入は日本人よりはるかに上なのである。デンマークの教育では平等・公平を教える。いじめや登校拒否を出さないようにするのが優秀な教師とされ、生徒に博愛精神を教える。

社会福祉国家は国民が納める税金で成り立っているのだが、納税は共生・連帯の証しである。高福祉・高負担にあらず、高福祉・高税の国が社会福祉国家だ。