社会福祉法人風土記<1>九十九里ホーム 下 ”助けてくれる法人”が合言葉
2015年04月23日 福祉新聞編集部
社会福祉法人にとって職員の処遇は最重要課題の一つだ。一般的に収入に占める人件費(給与)の割合で計られる。
法人収支はおおむね、病院と養護老人ホームは赤字、介護事業は黒字だ。2013年度決算によると、全体の事業収入約52億5000万円のうち人件費は約34億7100万円(66・11%)。平均はほぼ65%だから、高い。しかも、ある特養は70%を超え、赤字ながら養護老人ホームに至っては約74%に達する。そうしないと平準化できない。働く者へ還元し、やりがいを高め、自尊心を伸ばそうとの苦労がにじむ。
前回〈中〉も触れたが、経営難で医療法人が断念した老健を2008年、九十九里ホームは引き取った。借金の一部を肩代わりしたうえ、利用者も職員もそっくり。「うちより給与は良かったが、下げることはしなかった。職員は使い捨てライターではありませんから」(井上峰夫理事長)。今は黒字に。
それでも、九十九里ホーム病院は〝もうけ主義〟に走らないできた。
普通、医療機関は重い認知症、脳卒中の後遺症などケアが必要な慢性期の患者をあまり引き受けたがらない。診療報酬が低いためだ。かと言って、長い待機者リストを持つ特養、月20万円前後はかかる有料老人ホーム(特定施設入居者生活介護)に入れないお年寄りは少なくない。その層に対する救いの場こそ、社会福祉法人病院の存在意義でもある。空き病室のある限り、積極的に受け入れてきた。
特養は4人部屋。最低の国民年金しかないお年寄りへもドアを開く。
「困った時に相談すれば必ず助けてくれる法人、これが合言葉です。幸いなことに、医療から介護へつなげていく態勢があります。採算コストに敏感な今の時代の波に乗り遅れていると言われるかもしれないが、医療・介護難民は出したくありません」。病院で働く医療ソーシャルワーカー佐谷久美子さん(47)は言う。
物品購入でも地元業者優先の姿勢を貫く。
共助精神が一番発揮されるのは災害時だろう。5年目を迎えた東日本大震災。2011年3月11日の発生直後、法人は内部に支援プロジェクトチームを立ち上げた。その翌月、病院の放射線技師の都祭広一さん(54)=現・匝瑳市議=は福島県相馬市へ。東京電力福島第1原発事故による放射線拡散不安の下、5日間、遺体安置所で歯科医師とともに遺体検案と放射線量測定にあたった。中学生ら19遺体を測った。「胸が痛みました」。
その年末年始、第1原発内の診療所でも作業員の健康(被ばく線量)管理に協力している。いずれも日本診療放射線技師会(東京)の呼び掛けに応じたものだった。
また、特養「松丘園」の男性職員2人は昨年11月から12月にかけ約2週間、南相馬市の高齢者ケア施設へ。全国社会福祉法人経営者協議会(東京)の要請に基づく浜通りエリア支援だ。原発事故で約7万人いた市民は一時約1万人に激減した。その後、市民は帰ってきたものの、一向に増えないヘルパーはノドから手が出るほど欲しい。
「家族は避難し、お年寄りだけ残されたケースが多い」と派遣された介護福祉士の大木啓貴さん(34)。「休日に原発10㌔圏内へ案内してもらった。田んぼに船が打ち上げられたまま。まだ別世界でした」。法人として福島の施設へひまわりの種を送る活動も展開中だ。
外部との交流も深い。知人を通して、古くなった車いすをスリランカへ過去2度送った。作業療法士による「いきいきシニア講座」などで住民啓発に努める。
毎年、特養ならびに身体障害者療護施設「聖マーガレットホーム」(定員80人)の家族会と共催する法人の「ボランティア感謝の集い」はにぎやかだ。昨年は成田市内のホテルに小学生を含め120人以上が集った。外部の目が法人に注がれ、スタッフやその仕事ぶりは地域へ開かれていく。
「毎日が楽しいです」。聖マーガレットホームで暮らす澤田明江さん(67)は明るくほほえむ。広報誌「ひとつぶの麦」の表紙を毎回カラフルな絵で飾る。
脳性小児マヒで手足に障害を持つ。両親の高齢化で在宅生活が限界になり、ホームへ入って約20年。食事は全介助だ。13年ほど前から口にくわえたスティックをマウス代わりに、タブレット端末でパソコン画面に四季折々の風景を描くようになった。これまでに23号。「画集を出そうか」と理事長。1日2時間ほどパソコンに向かう。その元気な笑顔がスタッフたちの励みでもある。
(横田一)
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