社会福祉法人風土記<8>慶徳会 上 貧富、障害を差別せず
2015年12月08日 福祉新聞編集部大阪府茨木市にある社会福祉法人「慶徳会」(大和治文理事長)が地域に開放している福祉センター「常観堂」。8月15日、『仏説阿弥陀経』の読経にあわせ、児童養護施設「子供の家」に暮らす3人の小6男児から特別養護老人ホームのお年寄りやその家族、職員まで計約50人が、ここに生きた先人の霊に合掌した。毎年恒例の創始者の日・物故者追悼法要だ。
このお経の冒頭には仏教の開祖ブッダの高弟16人が名を連ねる。その一人、周利槃特はもの覚えが悪く、賢い兄から寺を去れと迫られる。ブッダは諭す。「お前にもできることはある」。彼は祇園精舎で得意な掃除を一心に続け、悟りにたどり着く。掃いたのは心のちり、清めたのは身のけがれだった、と。
「賢愚、障害、貴賎などで差別するなという仏教福祉の根本がこのお経。慶徳会創設者の精神的基盤には、このような教えも含まれていると思います」。唱導した中根超信師(76)=滋賀県近江八幡市、光明寺住職=はそう話す。長く京都市社協の事務局長を務め、5年前まで慶徳会の特養ホーム「春菊苑」と養護老人ホーム「光華苑」の施設長(兼務)であった.。ひとつ同じ屋根の下にある(合築)。
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いまでこそ子どもからお年寄りまで1日約700人をケアする慶徳会だが、始まりは農繁期託児所だ。母体の慶徳寺(茨木市)の本山は光明寺と同じく西本願寺(浄土真宗本願寺派)。約480年前の室町時代の建立という。
第15代住職・藤井教恵師(1901~77)がお参りをすませて帰途のこと。田んぼのあぜ道にご飯が冷めないようワラで編んだ大きな入れ物(ふご)に赤ちゃんを置き、田植えに精を出す母の姿があった。現世(現生)そして来世(後生)を生かされているとの感謝の思いから「人の役に立つことを」と、坊守(浄土真宗で妻のこと)の静野さん(1907~79)とともに寺の庫裏で1931(昭和6)年、農繁期託児所を開いた。いわば保育所。結婚4年目、一帯は農村だった。
この種の託児所は1890(明治23)年、鳥取県で生まれたのが第1号といわれる。繁忙期、目を離したすきに溝へはまって落命する幼子ら「農村悲劇」は絶えなかった。
振向くは泣く子の母か田植笠/ 早乙女や子の泣くかたへ植てゆく
春や秋、長ければ1カ月も、地方によっては無料で朝から夕方まで預かってくれる託児所は大助かりであった。小作争議や農村の窮乏、とくに満州事変(1931年)を契機にした十五年戦争で食料増産、女性労働力が求められると急増していく。キリスト教団の社会事業の影に隠れ気味だった寺院仏教団の活動は、愛国婦人会などとともに目立った。
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慶徳寺へは50人ほどが通っていた。子ども好きで、いつもニコニコしている教恵師、目が大きくて体のがっちりした静野さんは少しばかり怖がられたらしい。「でも笑うと仏さまのようで、割ぽう着のポケットからキャラメルをくれた」。慶徳会としては3代目にあたる前理事長、西田治さん(90)=元大阪府立攝津高校長=は懐かしそうに言う。慶徳寺の檀家でもある。
寺の鐘を勝手について叱られるいたずらっ子もしばしば。子ども同士、自由に遊んでいた時代である。
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2人が先進的だったのは母子健康相談所(1933年)を設け、保健婦を置き、在宅訪問活動をしたこと。そのころ、乳幼児死亡率は高く、貧しい農家を回り、妊婦の指導などに努めた。
太平洋戦争の雲行きが険しさを増す1944~45年、近くに託児所を2カ所増設。戦地へ夫を送った女性のために、着物のつくろいなど内職仕事の授産所(1944年)を開いたり、敗戦半年前には陸軍糧秣倉庫払い下げの材料で母子寮をつくり、夫を戦場で失い、空襲で家を焼かれた母や子を受け入れている。
やがて敗戦。戦災孤児があふれる荒廃の中で真っ先に手をつけたのが、帰るに家なき子らの養護施設。授産所だった一角で孤児の受け入れを始めている。1948(昭和23)年、国の補助を受け、前年成立した児童福祉法による認可も得て、「子供の家」(当時の名称は「善隣館」)は船出する。
とはいえ、アメリカの宗教団体や労組で組織する「アジア救援公認団体」(通称・ララ)より提供されるララ物資の食料で空腹を癒やす日々が続く。法衣を脱ぎ、田畑を歩く百姓姿の教恵師を見掛けることはしばしば。ハンマーを手に台風に備えて木造の建物を補強した。
静野さんも教恵師ともども慣れぬ手つきで鋤を持ち、アメリカ人の大柄な服を子ども用に仕立て直した。夏祭りの前、子どもたちの浴衣を夜明けまで縫う姿も。封筒を裏返して使うなど倹約も心掛けた。職員には厳格な半面、子どもにはとても優しかった。
実子には恵まれなかったが、お父ちゃん、お母ちゃんと呼ばれ、2人はなつかれた。
地域住民の期待や行政の要請に対応し、児童だけでなく高齢者、障害者・児へと時代に即応して広がっていく慶徳会の戦後福祉事業のスタートであった。
(横田一)
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