能登地震被災の92歳女性が大阪・八尾で新生活 福祉法人が居住支援

2024年0402 福祉新聞編集部
八尾市内の転居先で話す北瀨さん

能登半島地震発生から3カ月。47都道府県の災害派遣福祉チーム(DWAT)は石川県内の各避難所にこれまで約1300人を派遣し、高齢者らへの対応に当たった。4月からは今なお164人(3月25日時点)がとどまる金沢市内の1・5次避難所を活動拠点に定め、4チームが常駐。すばやい対応を続ける。大阪府が2月に派遣したDWATの活動で、日ごろの居住支援事業のスキルを生かした事例が報告されるなど、福祉専門職の有用性が見直されている。

 

大阪DWATは2019年に発足し、活動は今回が初めて。派遣されたのは登録者406人のうち38人(うち27人が府内社会福祉法人の職員)で、1月25日から3月17日の期間、4、5日ずつ交代で、石川総合スポーツセンター体育館(金沢市)にある1・5次避難所での活動を任された。

 

1・5次避難所は、病気や高齢などの理由で、ホテルや旅館など2次避難所に移動できない被災者がとどまる場所で、当初は300人近くの被災者がいた。

 

大阪DWATは鳥取、広島、徳島など7チームと協力し、被災者の2次避難所への移動をサポートした。

「おせっかい心」居宅支援へ

大阪DWATのメンバー、久保田佳宏さん(社会福祉法人八尾隣保館・八尾市)は、2月10日に石川総合スポーツセンター体育館の1・5次避難所に入り、被災者の北瀨千代さん(92)に出会った。

 

北瀨さんは高齢ではあるが意思をしっかり持ち、輪島市で独り暮らしをしていたときに被災した。

 

1・5次避難所に来て2次避難所を探したが、近隣県では空きがなく、中部地方まで範囲を広げた。しかし、バリアフリーなどの条件が合わなかった。

 

行き先が見つからないままひと月以上が経過。「人に迷惑をかけるのなら死にたい」と、食事を取らず薬も飲まない「セルフネグレクト状態」にあった。

 

「何とかしてあげたいという、『おせっかい心』が出た」と久保田さん。現地から法人のある八尾市に電話し、入居できる物件があることを確認して北瀨さんに提案。大阪での生活について丁寧に説明し、ただ一人つながる親族にも相談しながら、北瀨さんの大阪行きの意思を確認した。

笑顔戻り、新天地で暮らす

およそ1週間後の2月18日、先に大阪に戻り準備していた久保田さんは、大阪駅で特急サンダーバードから降りる北瀨さんを出迎えた。

 

住まいは、足に負担がないようにと、八尾市内の平屋の共同住宅の一軒を用意し、すぐ生活できるよう家具や家電も提供した。土地勘のない場所で孤立しないよう、八尾市役所、地域包括支援センター、民生委員、ボランティアの看護師などとつなぎ、地域と八尾隣保館が伴走的にサポートする体制も整えた。

 

今、北瀨さんは、自分で3食の食事を作り、街を1人で散策し、スーパーで買い物もする。「ここに来てから大勢の人にお世話になっている。もう一度がんばろうと思った」と笑顔で言った。

生かされた専門性と組織力

八尾隣保館は18年に住宅確保要配慮者居住支援法人の指定を受け、身寄りのない高齢者や刑務所出所者らへの居住支援を毎年100件以上行っている。普段から仕事で蓄積された経験が、災害時の迅速な対応につながった。

 

「ボランティアであるDWATの活動なのに、法人の事業として動くことに躊躇ちゅうちょがあった」という久保田さんだが、「石川県や大阪DWAT本部の強い後押しで、一歩を踏み出せた」と話す。