「地域と共にあれ」 DWATを能登へ派遣(青森)

2024年0215 福祉新聞編集部
楽晴会職員ら青森県チームも他県と共に活動している(七尾市の避難所で)

元日に発生した能登半島地震。青森県三沢市の社会福祉法人楽晴会(齋藤淳理事長)は災害福祉支援チーム「楽晴会DWAT」を始動、職員を被災地に派遣して支援活動に当たっている。

 

能登半島地震の被災地支援で厚生労働省から要請を受けた青森県は県災害福祉支援チーム(DCAT)を5陣組み、石川県に派遣。青森県から要請を受けた楽晴会は職員3人を派遣した。支援チームの第1陣は県内の施設職員3人で編成し、後方支援として県社会福祉協議会から1人を派遣した。支援チームのリーダーは楽晴会の月舘健司・松園ケアラウンジ・スカイ施設長で、防災士の資格を持っている。月舘施設長は東日本大震災の時も支援活動を行い、2018年の西日本豪雨では岡山県真備町で支援に当たった。

 

法人として最初の災害支援派遣は04年の中越地震で、種市博之・防災室主幹(防災士)が発生から3カ月後に新潟県小千谷市に派遣され、主に自宅に帰れない施設職員たちの休息のための支援活動だった。

 

法人が初めて三沢市に開設した施設が1968年4月の晴ケ丘養護老人ホームで、その1カ月後に青森県東方沖を震源地とする「十勝沖地震」が発生。青森県は大きな被害を受けた。建物が損壊した八戸市の施設からは高齢者十数人を晴ケ丘養護老人ホームで受け入れた。「結果的に、法人の初の災害支援で、これが法人創立期からの法人の核の一つになっているとも言えます」と齋藤理事長は話す。

 

東日本大震災などの復興支援に携わった経験から「法人の哲学・社是や理念、信条などを職場外で改めて学べた。法人の職員である誇りと感謝の心を忘れずにこれからも〝お志事〟」と川村夏子・三沢老人ホーム施設長(防災士)は「災害支援派遣活動の記録集」に書いている。

 

「介護の必要な人の上に立たず、その心に下りて為なすを第一、社会の必要の外に在あらず、その中に在りて為すを第二、当事者と共に地域を耕し、当事者をして社会を照らす」が社是。理念は「世界の人類愛と地域創造に貢献する」だ。単なる地域貢献ではない、法人の根底・底流には〝地域と共にあれ〟が脈々と流れている。

 

現在、法人は9カ所の施設を拠点とした「福祉避難所」の設置に関する協定を三沢市、六戸町と結んでいる。「記録集」の作成に関わった本部の鵜川博美さんは「できることであれば平穏が続き、これ以上、記録集のページが増えないことを祈ります」と災害のない平穏を願っていた。

 

楽晴会 1967年、青森県三沢市に法人設立。2018年に東京へ進出し、特別養護老人ホーム「世田谷希望丘ホーム」などを開設。同県と東京都を中心に特養、養護老人ホームなど第一種社会福祉事業をはじめ、小規模多機能型居宅介護事業など50を超える事業を展開している。職員数は約600人。