社会福祉法人風土記<1>九十九里ホーム 上 「一人ひとりに愛と希望を」
2015年04月09日 福祉新聞編集部社会福祉法人に対する風当たりが強い。誤報ともいえる特別養護老人ホームの3億円内部留保(1施設)データをきっかけに、関係筋は一層の社会貢献や情報公開などを求めている。「公益法人」の本旨へ改革が必要だ、と。しかし、課題は含みつつも全国約2万の法人の多くは地域に軸足をすえ、乳児院、保育園から養護老人ホームまで87種類にも及ぶ福祉事業を真摯に実践してきたのではなかろうか。額に汗して歩んだその足跡と「いま」を報告し、社会福祉法人の現状や福祉の姿について共に考える糸口にしたい。
千葉県北東部の太平洋に面した匝瑳市。JR総武本線飯倉駅(無人駅)を降りると、200㍍とは行かない小高い丘の上に社会福祉法人「九十九里ホーム」がある。無料低額診療施設の九十九里ホーム病院(149床)を中心に特養ホーム、養護老人ホーム、障害者支援施設など9拠点21事業所を運営する中規模の組織だ。
病院利用者のため戦後できた同駅の前に約1万5000平方㍍の空き地が広がる。スーパーマーケットの跡地。2年前、法人が比較的安価で買い取った。壊すのに2億円かかったという。
駅前福祉村を計画中
「ここに高齢者や障害者、子ども(幼稚園)のゾーンからなる駅前福祉村(仮称)を計画中です。お母さんたちの雇用の場も確保したい。地方創生資金を使えないか地元自治体とも相談しますが、かなり自前資金が必要になるでしょう」
パートを含め約800人の職員の先頭に立つ井上峰夫理事長(66)は今秋、施設創設80周年を迎える法人本部で、コンサルタントの提案した青写真をめくりながら、明るさと厳しさの入り交じった表情をした。
市は人口3万8714人、高齢化率は30・22%に達する(今年1月末現在)。その地域の〝福祉玄関口〟にとの決意がにじむ。しかし、社会福祉法人は税優遇などを受けるものの、駅前福祉村の整備費用や耐震基準をクリアするため今後の病院改造などを考えれば、病院等でできた18億円ある積立金などアッという間に底を突き、とても足りないとの不安は強い。
九十九里ホームは1935(昭和10)年10月、英国聖公会の宣教師・ヘンテ女史(1878~1970)によって創立された。資産家の長女であった。キリスト教布教のため1905(明治38)年12月、日本の土を踏む。その3カ月前、1年半に及んだ日露戦争がポーツマス条約で終わりを告げ、しかし、条約反対の世論で国内は騒然としている時分である。
一時帰国を挟んで、岐阜、呉、広島、神戸、東京などで活動した。本国からの遺産を貧民や病者の救援、教育に注ぎ、自費で教会堂も建てている。
「みなさん、酒を飲むのは罪です!」
大声でこう怒鳴って下町の一杯飲み屋を回ったという。信念の強さは相当である。
当初、千葉県銚子の海辺に結核療養所(サナトリウム)を建てるつもりだった。ところが地元民は猛反対。そのころ、結核は死病と考えられていた。意気消沈して同地を去る道すがら、八日市場町(現・匝瑳市)の小高い丘(「イナゴ山」といった)に理想郷を見出す。
苦労して土地購入
苦労のすえ土地を購入、結核患者などの療養施設(定員18人)として船出し、敗戦直前にサナトリウム(病院)となり、今に至る礎を築くことになる。
日中戦争の激化で離日するが、戦後、連合国軍最高司令官マッカーサー元帥の招請で救済事業へ復帰。社会福祉事業法施行(1951年)の翌年に社会福祉法人となり、一般病院へ変更(1957年)するなど施設やサービスを拡充してきた。
「一人ひとりに愛と希望を」。これが日本で約45年を過ごした彼女の、そしていまなおホームの掲げる理念だ。
(横田一)
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