社会福祉法人風土記<14>青垣園 中 自立を目標に歩む利用者たち

2016年0815 福祉新聞編集部
青垣園のビニールハウスで野菜を収穫する農業班

奈良県大和高田市にある社会福祉法人「青垣園」(松岡文男理事長)の障害者支援施設作業棟。土や野菜を扱う陶芸や農耕、箱の組み立てなど軽作業に分かれ、入所者・通所者入り交じって週5日、汗を流す。救護施設利用者の姿も。日々の暮らし、社会生活の自立を目標に歩む就労継続支援B型事業である。

 

■酉の土鈴2500個以上

 

「失敗作を入れれば、毎年2500個以上焼くんです。利用者と相談して決めた3種類のデザインを持って夏の間、神社やお寺さんをご用聞きに回ります」

 

今年5月、陶芸作業室で女性指導員はそう語った。7人の陶芸班が手掛けているのは来年の干支の酉。信楽(滋賀県)から取り寄せた粘土を指で型枠に押し込む人、電気炉で焼き上がった作品に赤や黄の塗料で色付けする人… マイペースでこなしていく。土鈴づくりは来年で4巡目を迎える。

 

園の片隅に築いた登り窯で焼いた土鈴を初めて送り出したのは1981(昭和56)年。酉年であった。翌年、電気炉を増設。利用者の生きがいや楽しみ、そして小遣い(工賃)に、との狙いだ。が、精神を集中する成型や彩色工程は知的障害者らには難しく、当初、「とても販売できるレベルではありませんでした」(『青垣園50年のあゆみ』2012年)と指導する地元の赤膚焼窯元はため息をついた。

 

しかし、人は進む。管理の大変な登り窯は3度使っただけで断念したが、型の凸凹を和らげて造りやすくしつつ、おぼつかなかった指先は次第に動きを高め、彩色もこなすようになった。

 

努力は実を結ぶ。奈良県が初の単独開催地となった「わかくさ国体・全国身体障害者スポーツ大会」(1984年)の記念品づくりを受注。園からさして遠くない明日香村の高松塚古墳から1972年に見つかった壁画・飛鳥美人を模し、「平城の大宮人」の土鈴6000個を納めた。量産に自信をつけた。

 

奈良市を会場にした「なら・シルクロード博覧会」(1988年)でも陶芸品は人気を呼んだ。「すごい売れ行きのため、一時は瀬戸物屋になろうと思った」。こんな冗談を当時の職員は広報誌『青垣だより』に記している。うれしかったのだろう。

 

■地域暮らしを目標に

 

土に親しむもう一つは農業。「使ってよ」と元青垣園長が近郊の田んぼ20㌃を提供してくれたのがきっかけという。2007(平成19)年から野菜づくりに着手、その後、園独自で農地を購入するなど、現在は70㌃へ拡大した。ビニールハウス2棟もある。

 

水稲、サトイモのほか、オオバ、シソ、モロヘイヤ、キャベツ、ハクサイ、カボチャ、ホウレンソウ、キュウリ、ナス、そして今年からビニールハウスにミニトマトを作付けした。B型事業で8人、生活訓練の6人の利用者を5人のスタッフで支え、七つの産直店や園の給食用に卸している。

 

1個400円前後の土鈴に比べ野菜の付加価値は低い。しかし、店先に並べれば確実に売れる。そんなに安くされては…という声で安値販売はやめた。売り上げは年220万円ほど。工賃に換算すると1人月1万8000円ほどだ。もし、4~5万円まで引き上げることができたら…。「障害者年金と足して10万円に届けば、この地域では自活できる」とB型事業担当の木村義則・副施設長(61)は言う。

 

夢の実現に向かい協働作業が続く。

 

 

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