社会福祉法人風土記<24>伊賀市社会事業協会 下 〝地域共生社会〟を目指して
2017年06月19日 福祉新聞編集部伊賀市社会事業協会の視覚障害者支援の取り組みを追ってみた。1960(昭和35)年、上野市(現伊賀市)は三療師のあん摩マッサージ指圧師、鍼師、きゅう師の免許を取得した人たちの要望に応える形で、全国4番目の早さで、自立援助をするための施設として「上野市盲人ホーム」を設置し、協会にその運営が委託された。
その10年後の1971(昭和46)年、寺町に上野点字図書館を開館。津市の県立点字図書館(現・視覚障害者支援センター)に続く施設であった。図書貸し出し状況は点字図書20%、音訳図書(テープ、デイジー)80%の割合であるが、全国視覚障害者情報提供施設協会加盟の当館も含めた86館もその多くは同じ状況である。
音訳担当の松田昌子副館長(46)のもとには市内の小学4年生の教育現場から、〝点字に関するお話〟の要請が来ている。「そこでは、視覚に障害のある人にとって、フランス人のルイ・ブライユが考案した点字という文字がいかに大切か。点字を通してその障害のある人の生活を理解することの大事さを伝えています」と静かな館内で語った。
この館内の一画には、使い込まれた点字印刷機器が今も現役として稼働している。
同じ年に開園した朝屋の「盲養護老人ホーム梨ノ木園」で2人の利用者の声を聞いた。
高橋美枝子さん(85)は、2004(平成16)年に入所。「最初は寂しかったけど、竹田(正男・78)さんが、次の年に同じ津市から偶然ここに来たんです。うれしかった。竹田さんは事故で目を悪くしたんですけど、20年前に私の目が悪くなり始めた頃に、横断歩道と思って渡っていたところを、『危ない!』と言って手を引いて助けてくれたのが、(事故前は晴眼者だった)この人(笑)」と言って隣りに座る竹田さんに顔を向けた。
竹田さんはにこにこしながらうなずいたが、薮内勝・法人本部事務局長・園長(59)も「初めて聞きましたよ」と驚きながら話の輪に入った。
利用者と関わり深い松山敏明相談員・社会福祉士(26)は「大学で福祉を学び、それを伊賀で生かしたいと思い、ここに来ました。コミュニケーションを大切にし、人生の大先輩と接し学ばせてもらっています」と爽やかに語った。
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就学前児童のための療育保育施設「かしのみ園」が車坂町の「みどり保育園」(1968年開園)の隣りに併設開園したのは1985(昭和60)年である。三重県では初の施設であった。開園までの道程は厳しく、1983(昭和58)年夏の炎天下、森下達也名誉顧問(当時第4代理事長)、西岡時彦顧問(当時事務局長)が神奈川県横須賀市にあった国立特殊教育総合研究所を訪れ助言を受けたのが、その具体化の第一歩だったと、『かしのみ園の療育保育』(2014年刊)に記述されている。
この施設は一人ひとりの園児の発達、特性に向き合って対応する療育保育をしつつ、併設の保育園の園児とも交流をする〝子ども同士の心が響き合う場〟をさまざまな協力でつくりあげてきた。この保育形態を松坂清俊・三重大教授(故人)ら研究者は「かしのみ方式」と名付けて全国に発信した。
森下、西岡両氏が理論化、枠組みづくりのあと、中森洋子初代園長(75)の薫陶を受け実践した竹内佐千子理事(69)、福永重子園長(63)、土永京子園長(48・現「みどり保育園」園長)の3人は、今も全国の保育の主流になっている〝統合保育〟では、親身な療育保育は生まれにくいと口をそろえる。「保育士が子どもに寄り添い保護者に安心してもらえるよう懸命に取り組んでくれているから、今があります」と互いに顔を見合せうなずいた。
「三田保育園」5年、「かしのみ」2年目の保育士・畑早織さん(26)は「子どもたちの成長を感じる時、笑顔にふれる時が喜びです。私は両親の正直に生きる生き方を手本に、子どもたちに向き合っています」と園児に負けない笑顔で話す。大井恵子主任保育士は「子どもの言葉に不安を持って来られる保護者に、言語聴覚士の資格を持つ私がいることで安心してもらえればと資格を取得しました」と語った。
これら幅広く事業展開をする赤澤行宏理事長(66)は「創立以来の精神〈相扶相愛〉=〈あいみたがい〉を持って、地域の人こぞって参加する〝地域共生社会〟を、先人の思い、願いと共に実現することが、協会の伊賀に対する使命です。幸先よいことに森永典子デイサービスなしのきセンター長(60)が黄綬褒章を受章しました」と結んだ。伊賀市社会事業協会はより高みを目指して動き始めた。
【高野 進】