社会福祉法人風土記<22>佛子園 中 〝ごちゃまぜ〟が人、地域を元気に
2017年04月03日 福祉新聞編集部〝ごちゃまぜ〟の成果は、みんなが元気になり笑顔になること。それは高齢者の孤立を防ぎ、障害のある人の就労意欲を高め、生きがいを生み出す。その場所が小松市野田町にある施設「三草二木西圓寺」。
三草二木とは『法華経』の中の薬草諭品によるが、佛子園グループの底に流れるもう一つの理念であると言っていい。三草とは上草、中草、下草。二木は大樹、小樹。大地の草木には形、大きさは違っても、それぞれに持ち味がある。同じように、一人ひとりに応じた福祉サービスを提供して、地域づくり、町づくりに貢献したいという施設「西圓寺」の思いが込められている。
西圓寺は昔は真宗大谷派の寺で、1473(文明5)年に地元篤志家によって創建されたが、15年ほど前に後継の住職が見つからず廃寺となった。
その後、荒れ放題の寺をどうしたらいいのか、地元有志から雄谷良成理事長(当時、常務理事、能美市の星が岡牧場施設長)に相談が持ち込まれたのは、2005(平成17)年のことであった。何回も話し合いが持たれ、3年後の2008(平成20)年に今のような就労支援B型、生活介護、高齢者デイサービスの福祉施設として生まれ変わったのである。
障害者支援施設「星が岡牧場」に席を置きながら立ち上げにも携わった第3代施設長の安倍真紀さん(41)は語る。
「東京の大学卒業後、横浜の福祉施設で8年間働いていました。その間、佛子園が取り組む障害者支援の姿勢に感銘を受けました。一人ひとりが生き生きと働ける場をつくり実践しているところでした。私の始まりは、グループの一つ、1998(平成10)年に開設された障害者支援施設『日本海倶楽部』の見学からでした。美しい日本海の入り江を望むクラフトビール工場・レストランで障害者が地域と関わるサービス業としても魅力の一つとなっています。その後、自然を生かした『星が岡牧場』を経てここ『西圓寺』に来て8年目になります」。
■ジャズが流れる
「西圓寺」の仏像のないお堂の中は、中央は歓談、食事などできる場、一角に職員スタッフと障害者が一緒に作るカウンター付きの食事処がある。手作りみそ、地酒なども売っている。高齢者にとって昔懐かしい駄菓子も売っている。
極め付きは天然温泉(周辺住民に無料開放)があるということ。ジャズがBGMとして静かに流れるお堂の隅では、2人の小学5年生が温泉に入ったあと、うまそうにアイスを食べながら宿題。隣りのソファーではデイサービスに来た高齢者たちが歌を歌いながらリズム体操などなど。
お堂の玄関に戻ると障害のある青年が一所懸命に桟拭きをしていた。その正面に年季の入った獅子頭。触ると耳が揺れて子どもは大騒ぎ。つられて若いお母さんも大笑いしていた。寺の屋根裏から見つかった古い看板、列車時刻表と小さな民俗博物館の体。これを温泉、食事に立ち寄った学生の一群が物珍し気にのぞき込む。みんなが〝ごちゃまぜ〟になって笑顔を弾かせていた。
「西圓寺」立ち上げに詳しい1860(万延元)年創業の地元蔵元の第5代当主・東栄松さん(80)は、カウンターで「このコミュニティセンターは10年を迎えましたが、地域の人はもちろん近在の人も大勢来てくれるようになりました。夢のようです。日曜日は200人から300人くらいです。当初話があった時は、この荒れ寺をコミュニティセンターにしてほんま大丈夫かと(笑)。今ここでは従来の親子、親類などのタテの人間関係だけでなく、障害のある人もない人も、年寄りも若い人も子どもも、ここに寄って、ヨコの人間関係ができてきたんですね。これからの社会(コミュニティー)は、タテ、ヨコが上手に編まれることが大事。その始まりがここだと言えるのは地域の誇りですよ」と言って相好を崩した。
ところで、安倍施設長は昨年秋、「佛子園」の職員研修制度でフィジーに行ったが、そこで学んだのは、「何と言っても寛容さです」と言う。
この制度について雄谷理事長は、「職員に志の高い器の大きな人間になってもらいたい。ブータン、コスタリカ、ドミニカ共和国など小さい国で経済的には貧しい国かも知れない。しかしコミュニティーは強くどんな人をも包み込んでくれるような温かさ、助け合いがあり、人それぞれが支え合って生きています。そこにある広義な意味での文化を訪れて学んでもらいたい」と語った。
【高野進】