立つことで見える世界〈高齢者のリハビリ 70回〉
2023年12月01日 福祉新聞編集部私が非常勤で、ある特別養護老人ホームに勤務していた時のことです。身体機能の維持を目的に、施設から依頼があった人のリハビリを行っていました。
そこでは、拘縮予防のために関節の可動域訓練をしたり、寝たきりの人の離床を手伝ったり、歩ける人には筋力トレーニングや歩行訓練をしたりしていました。その中に1人、毎回、平行棒で立つ練習をする人がいました。片まひがあり、介助なしで歩くことはできませんが、ベッドと車いす間の移乗、トイレへの移乗のためには「立つ」ことが必要で、起立練習のたびに「立てないとトイレに行けなくなりますよ」「脚に力を入れてください」「背筋を伸ばしてください」などと声を掛けていました。
立つ能力を維持するといっても、この起立練習がどれだけ、この人の日常生活の役に立っているのか不安に思いながら、私はリハビリを続けていました。
練習で得られる感動
そんなある日、いつものように立つ練習をしている時にポツリと「外は暑そうね」と言いました。見ると、窓の外の地面が熱せられ、ゆらゆらとかげろうが立ち上っていました。その人は、いつも立つ練習をしている場所から、窓の外を眺めていたのです。
この時、以前、病院でのリハビリを経て、歩けるようになって退院した人から言われた言葉を思い出しました。それは、私が「入院した当初は、自宅に帰れるか不安でしたけど、歩いて帰れるようになって良かったですね」と話し掛けた時に、「歩けるようになったのは良かったし、うれしいけど、やっぱり初めて立てた時の方が感動したね。周りの人と視線が合うようになったから」と返された言葉です。
立つことで広がる視界
それを思い出した時、私は立ち上がるときに下半身に力が入っているか、膝は曲がっていないか、足はちゃんと接地しているか、背中は曲がっていないかなどと、外見のことばかり見ていて、その人が「何を見ているのか」ということに、まったく無頓着だった自分に気が付きました。
毎回、同じ平行棒で立つ練習をしていたこの人は、ずっと窓の外の景色を見ていました。それは、いつもは車いすに座った高さから見る限られた景色が、立つ練習の間には大きく広がって見えたからだと気付きました。
感動をともに
私たちは、おおよそ1歳になる頃には立てるようになり、何かが起こらない限りは、立てない状態に戻ることはできません。生まれて初めて立てた時の記憶も感情も、忘れている人がほとんどだと思います。
健康な人は、一日中車いすで生活することはないので、立つことで視線が変わるということの感動は味わえないでしょうが、車いすでの生活を続けている人は、立つだけで世界が広がり、心を動かすことは多いのだと気づきました。
この時以来、立つ練習をするときは、その人の視線も見るようにしています。立つことで景色が変わる、立つことが楽しい、立って良かった、もっと立っていたいと思ってもらうことが、その人が立つ能力を維持する一番の原動力になるのではないかと思います。
日常生活動作のために立つことも大切ですが、そのためだけに立ってもらうのではなく、いつもは座っている人と一緒に、立った世界を楽しんでみてはどうでしょうか。
筆者=門脇敬 福岡和白病院 係長
監修=稲川利光 令和健康科学大学リハビリテーション学部長。カマチグループ関東本部リハビリテーション統括本部長