24時間対応の共生施設 児童養護施設と保育所を合築(宮崎)

2024年0725 福祉新聞編集部

社会福祉法人石井記念友愛社が石井十次(1865~1914)の故郷、宮崎県高鍋町に共生・複合施設「友愛の森」を造り14日、落成式を行った。保育所と小規模児童養護施設を合築して「24時間、灯が燃える施設」を実現、災害時の避難所を整え、夜間の「母子や困窮者の駆け込み寺」の機能も持たせた。石井十次が学んだ藩校教育を保育所で蘇らせるなど、1000年の歴史と文化を踏まえたまちづくりに着手。社会福祉法人の使命を、広く問いかける事業になりそうだ。

十次のひ孫にあたる児嶋草次郎理事長や高鍋町の黒木敏之町長らがテープカットを行った。

平安時代末期に日向の豪族、土持つちもち氏が築いた高鍋城の城址の近く。総面積約2000平方メートルの地に、共生社会の新拠点ができた。

災害時の避難所に

友愛の森は鉄骨造り4階建て。2階に明倫保育園(定員90人)、3階に小規模児童養護施設「あきづきの家」(定員6人)が入る。4階は避難所として機能するトイレ、浴槽を備えた個室3部屋を造った。

隣接地には、明治時代の古民家2棟を買い取って障害者就労支援施設「せいごろう亭」を開設。地域の人が利用できるカフェもオープンした。

昨夏に着工。高鍋城址のそばにあった江戸時代の藩校「明倫堂」をしのぶ「明倫の小道」に花を植え、出土した石を並べて施設から大通りまでの約70メートルを整備した。

総事業費は約5億5000万円。公的な補助金は約2億1600万円で、残りは自己資金や借り入れなどで工面。避難所となる友愛の森の4階部分は、法人が自前で整備した。

児嶋理事長は言った。

「南海トラフの巨大地震で、高鍋町は高さ10メートルの津波に襲われると推定されている。台風への不安も大きい。そんな状況で避難所を造らないというのは、社会事業家としては不適切ですよね」

24時間、灯を消さない

あきづきの家には3人の職員が住み込み、6人のこどもたちと暮らす。保育所は普通、夜は真っ暗になるが、児童養護施設と組み合わせたことで24時間、灯の消えない施設となった。

「地震や津波、台風だけではない。DVや虐待が増えて、夜に逃げ出す親子もいる。児童福祉の一番の拠点である保育園が『夜は知りません』ではいけない。夜も機能する体制をつくりました」

「独居高齢者も多くなり、離婚も増加。住民同士の共助の余裕がなくなっている中で、誰がその穴を埋めるのか。公助には限界がある。特に公務員は夜は無理。我々社会福祉法人の出番です」
歴史と文化、こどもたちへ

高鍋町は人口約1万9000人。江戸時代に秋月氏の治める高鍋藩の城下町として栄え、藩校の明倫堂で人材育成に力を注いだ。

だが、児嶋理事長は、高鍋の基盤を最初に築いたのは、土持氏とみる。平安時代の1000年前から、230年間にわたって湿原や沼地を開墾して城を造り、大手門を起点にまちづくり(城下町)を進めていった。

そして、石井十次の弟子で、国会議員や宮崎市長を務め、戦後、請われて高鍋町長になった柿原政一郎(1883~1962)も、大手門のすぐ前に私費で図書館をつくり、町に寄贈した。図書館は町の頭脳ともいうべき存在。「戦後の復興と明倫文化の再興を、ここからやろうとした」と児嶋理事長は推測する。

友愛の森は、図書館のすぐそばにある。そして、土持氏の菩提寺があったと思われる地に建つ。

「郷土の歴史と文化を踏まえたまちづくりを進め、こどもたちに伝えたい。こどもにとって就学前までの環境が一番大事です。社会福祉法人の使命は、時代によって進化しなければなりません」


石井記念友愛社 岡山孤児院をつくり、「児童福祉の父」と呼ばれた石井十次の思いを継いで1945年10月、高鍋町、木城町、西都市に広がる茶臼原で児童救済事業を再開。52年5月に社会福祉法人。基本理念は「天は父なり 人は同胞なれば 互いに相信じ 相愛すべきこと」。児童養護施設、保育所を中心に障害、母子、高齢福祉事業も展開。職員約300人。年間総予算約19億円。