同時代を生きた男たち〈コラム一草一味〉
2026年05月03日 福祉新聞編集部
学校法人敬心学園 参与 蟻塚 昌克
社会福祉の歴史に登場する人物を眺めていたときに、気付いたことがある。北海道光生舎の高江常男と静岡・牧ノ原やまばと学園の長沢巌は、1927年に生まれて、2007年に逝去している。生年と没年が一緒で、社会福祉事業の世界に入っていることも重なり合っている。さらに、2人とも障害者として人生を送ったことも同じだ。
芦別市の炭鉱住宅で育った高江は、幼いころに片目を失明。理不尽な差別を受けながらも、苦労の末に電気工事士の資格を取って戦時下に陸軍飛行場建設に従事するが、作業中に高圧電線に感電して両腕を切断。終戦後に文学運動に加わって地方新聞の記者になり、炭鉱の落盤事故などによる障害者を支える道に進む。特に授産事業に注力して、株式会社を含む大規模経営に発展させていく。異業種の経営者からは、企業授産という戦略による事業展開の手法と行動力で、高江は「炎の経営者」の異名をとることになる。
長沢は、学生時代に大病の末に余命いくばくも無し、と宣告されたものの奇跡的に一命を取り留める。回復してからは、残された余生を神にささげようとキリスト教神学に没頭して榛原町(現・牧之原市)教会の牧師に。近隣の障害児を持つ親の期待を集めて、やまばと学園を立ち上げる。
しかし、共同体づくりの道半ばで骨髄膜腫がきっかけで、重度の障害者となって24年間にわたり入院と自宅療養を繰り返していく。病床の長沢のもとには絶えることなく人が訪れて愛され、ひとりの人間として尊重される日々を過ごす。
時代を共有した2人の生き方から見えてくるのは何か。それは、価値観や社会システムが大きく転変する世界大戦を経て、彷徨しながら自己形成を図っていることだ。
その延長線上に社会福祉実践がある。混乱する状況にあっても、貪欲な知識欲、多感な問題意識、地域づくりへの参加と人とのつながりを大切にする発見がある。果敢に事業を拡大していく猪突猛進の姿が動の高江であるならば、清貧を貫いて深い祈りの中に身を置いたのは静の長沢である。
とはいえ、関係者によれば同時代を生きた高江と長沢は、生涯の中で邂逅することはなかったという。

