水俣からのメッセージ〈コラム一草一味〉
2026年02月28日 福祉新聞編集部
潮谷義子 社会福祉法人慈愛会 相談役
「水俣からのメッセージ 苦しい出来事や、悲しい出来事の中には、幸せにつながっている出来事がたくさん含まれている。
このことに気づくか気づかないかでその人生は大きく変わっていく。
気づくには一つだけ条件がある。
それは出来事と正面から向かい合うことである」(水俣病資料館・語り部 緒方正実)
私がいつも悩み、困難にぶつかり、問題から逃げ出したいと思うとき、このメッセージが私に我を取り戻させる。
水俣病(正式にはメチル水銀中毒症)は発症経路を特定するために水俣病という使い方がされている(以下、私も水俣病と表現する)。
水俣病が公式に確認されて、今年で70年を迎える。この長い期間を経て水俣病の理解は進んだのだろうか。これから環境省をはじめ、各省庁、各県行政やマスコミは、どのように水俣病理解に向けての啓発に取り組んでいくのだろうか。
ところで、わが家の一隅に足を止め幾度となく読み返すメッセージがある。楕円だえん形の直径15センチぐらいの小さな木片の表には「水俣からのメッセージ」と書かれ、裏面には「潮谷さんへ。水俣から私自身が学んだこと」と記され、緒方正実の署名と平成22年5月1日の日付がある。定かではないが、多分日付から想像するに、この日は水俣病慰霊式の日ではなかったかと思う。
緒方さんの家族、親類の多くが「水俣病」だった。とりわけ祖父は遺体解剖の結果、急性劇症型水俣病。町で最初のメチル水銀中毒と認定されて逝去した。水俣病被害者への差別、偏見はすさまじく、心身共にマイナスの影響を受け続けなければならなかった。
緒方さんは「水俣病?」と自覚される症状があっても38年間水俣病から逃げ、向かい合う努力より逃げる努力をしたと述べている。そんな状況からこのメッセージは導き出されている。
1997年、申請を決心したが認定されず。これ以降10年間、申請しては却下の繰り返しで、2007年3月15日やっと認定された。

