【関西学院大・上】奉仕のため自ら練達する
2026年04月14日 福祉新聞編集部
関西学院大学の創設は1889(明治22)年。創設者は、プロテスタント・メソジスト派の宣教師、W・R・ランバス(1854~1921)。創設の地は、神戸市灘区の原田の森(現、王子公園の一角)だった。

W・R・ランバス

C.J.L.ベーツ
そしてもう一人、重要な人物がいる。後に第4代院長となるC・J・L・ベーツ(1877~1963)。彼もメソジスト派の宣教師。1912(大正元)年に来日し、関学の高等学部長に就任。〈Mastery for Service〉を提唱し、20年に学院全体のスクールモットーと定めた。日本語訳は、「奉仕のための練達(隣人・社会・世界に仕えるため、自らを鍛える)」である=写真はいずれも関西学院大学学院史編纂室所蔵。

べーツ自筆のスクールモットー
福祉の学びの黎明
32年に旧制大学に昇格し、34年に法文学部と商経学部が開設され、ベーツが初代学長を兼務した。しかし日米開戦前年の40年に軍靴が高鳴る中、ベーツは帰国する。
戦前の関西学院で特筆すべきことは、多くの視覚障害者が学んだこと、さらにはその人々が、歴史に残る偉業を成し遂げたことである。
そうした基盤をつくったのが、13年に高等学部文科長に招聘された哲学、倫理学が専門の小山東助(1879~1919)。在職は1年半にすぎなかったが、彼のキリスト者としての社会改良の思想は、後の関学の社会事業・社会福祉教育のルーツとなった。
また、立教大学講師を経て18年に関学に赴任した河上丈太郎(1889~1965)の功績も大きい。河上の専門は、経済学、統計学、法律学だった。
視覚障害者とその業績
キリスト教の盲人伝道者として活躍した熊谷鉄太郎(1883~1979)は、1913年に関学に入学している。彼は講演先で出会った岩橋武夫(1898~1954)に関学を紹介し、岩橋は19年に入学した。
岩橋の最大の業績は、35年に日本ライトハウスを創設したことである。また彼はアメリカ講演の際にヘレン・ケラー(1880~1968)に出会い、その後深い交友関係を持った。こうした縁で、ヘレン・ケラーは戦前戦後3度来日し全国で講演を行った。彼女の2度目の来日の時(1948年)、全国で講演し、身体障害者福祉法の成立に寄与した。
岩橋は戦後、鳥居篤治郎(1894~1970)らと共に日本盲人会連合(現在の日本視覚障害者団体連合)を結成した。

(左から)岩橋武夫、米国盲人援護協会常務理事のバーネット、ヘレン・ケラー(1950年1月12日、ニューヨークで撮影)=日本ライトハウス提供
熊谷の影響を受けたのは、岩橋だけではない。本間一夫(1915~2003)は1936年に関学に入学し、キリスト教信仰を得て受洗する。彼は40年に東京で現在の日本点字図書館の前身である日本盲人図書館を開設した。現在、全国に71の点字図書館がある。
また、29年に関学に入学した大村善永(1904~89)は日本国内のみならず当時の満州国や中国奉天(瀋陽)でも活躍し、奉天盲人福祉協会を設立する。41年に男子の盲児教育施設である啓明学園を奉天に設立したのも、大村の大きな業績である。
中島重と竹内愛二
こうした歴史には、社会的基督教運動の中心的人物であった中島重(しげる)(1888~1946)の存在が大きく影響している。
中島重は、同志社時代に海老名弾正(1856~1937)と共に活躍するが、中島は1929年に賀川豊彦(1888~1960)の薦めで同志社から関学に移って、機関誌「社会的基督教」を発刊し、その運動により多くの人々に影響を与えている。
例えば、岩橋武夫、竹内愛二(1895~1980)らである。特に竹内は、機関誌に多くの論文を書いている。
中島は社会的基督教聯盟(れんめい)を結成し、戦時体制が確立されていく中で、社会問題、特に貧民救済に力を入れていった。
こうした中島の考え方は、竹内にしっかりと引き継がれ、後の関学の社会福祉教育や実践の基盤を形成していく。竹内は、関学に赴任する前に賀川の灘生活協同組合の常務理事として幅広い活動を展開している。
関学セツルメント
昭和初期における関学で忘れてならないのは、関学セツルメントだ。
1915年に広岡菊松が創設した大阪市此花区の労働者の宿泊施設「暁明館(ぎょうめいかん)」は菊松の死後、関学の学生だった息子の信貴知(しんきち)に引き継がれた。信貴知は恩師である商学部長の神崎驥一(きいち)(1884~1959)に協力を求め、暁明館を関学に寄付することとなる。
当時の関学には賀川の影響もあり、社会事業活動のための社会奉仕会が創られていた。この組織の創設に最も貢献したのは、秋谷一郎である。
暁明館は社会奉仕会に引き継がれ、関西学院セツルメント大阪暁明館となり、〈Mastery for Service〉の精神が実践されていく。36年には隣保館が設立され、授産、教育、保育の事業が展開され、40年には低所得者に配慮した軽費診療所も開設された。
関西学院セツルメント暁明館は戦後の47(昭和22)年になって病院を設立し、生活保護法に基づく医療保護施設となる。現在は関西学院からは独立した社会福祉法人で経営されている。
関学のキリスト教主義教育は単に信仰による個人の霊的充実だけを目指すことなく、常に社会の、世界の、困難に取り組み、世界的視野をもつ人材の育成に力を注いできた。
(小國英夫)
関西学院大メモ
学校法人関西学院が運営する総合大学。西宮上ヶ原(兵庫県西宮市)、西宮聖和(西宮市)、神戸三田(兵庫県三田市)の3キャンパスと、西宮北口、大阪梅田、東京丸の内の3キャンパス(サテライト)がある。
14学部と大学院14研究科。神学、文学、社会学、法学、経済学、商学、人間福祉学、国際学の8学部が上ヶ原に、教育学部が聖和に、総合政策学、理学、工学、生命環境学、建築学の5学部が神戸三田キャンパスにある。学部と大学院を合わせた在学生は、約2万5000人。理事長は村上一平、学院長は中道基夫、学長は村田治。

