能登に派遣の大阪DWATに知事感謝状 災害救援も福祉の責務に
2024年09月19日 福祉新聞編集部能登半島地震の避難所に派遣された大阪DWAT(災害派遣福祉チーム)のメンバー33人や協力施設などに8月26日、大阪府の知事感謝状が贈られた。設立から5年目、初の現地派遣だった。「DWATの全国ネットのさらなる強化が急務」「災害救助法への『福祉』の追記実現へ」とメンバーは話す。南海トラフの巨大地震に黄色信号がともった今、災害時活動も「福祉」の重要責務になる時代が来た。
大阪DWATは2020年3月に発足。今年1月1日に起きた能登半島地震で金沢市のいしかわ総合スポーツセンターに設置された1・5次避難所に1月25日から3月17日までの53日間、延べ約170人が派遣された。
1・5次避難所は、石川県が1次避難所(公民館、学校など)から2次避難所(ホテル、賃貸住宅など)に直接行けない高齢者や障害者、児童ら「災害時要配慮者」を対象に設置。2次避難所が決まるまでの2~3日間の滞在を想定した。
約200のテントが張られ、多い時で約200人が避難。石川、大阪、長崎、香川、広島などのDWATが、30人常駐できる体制をつくった。
テントを回って話を聞き、ADL(日常生活動作)の低下防止や、要介護認定の手続きなどを支援した。相談コーナーを設けて、福祉資源の活用などについてもアドバイスした。
派遣「4~5日間」に葛藤
大阪DWATは、前半ワンクール4日間(1、2月)と後半ワンクール5日間(3月)の2段階で派遣された。
「担当した仕事は、次のチームに引き継ぐことが多かった」
あるメンバーは、葛藤を交えてこう話した。
2次避難所への移動をサポートした時に、避難者から「ようやく水と食が確保できたのに追い出すつもりか」と怒られたこともあったという。
県外に出ることを拒む避難者が多く、マッチングが困難な局面が続いた。それでも仮設住宅が出来始めたこともあり、6月末にDWATの派遣は終了した。
現場体験生かした研修を
社会福祉法人みなと寮(大西豊美理事長)から派遣された小中唯靖さん(44)と中谷厚さん(38)は、前半と後半の2クールを経験した。
小中さんは「大変な思いをされたんだなあ、というのが第一印象。DWATだけでは、最良の支援はできない。医師や看護師、保健師、ケアマネらとの職種を越えた連携の重要性を痛感した」。
中谷さんは「平時からメンバーの役割、絆を大切にして、何をすべきかを常に考えておかないといけない。今後は、『実際にどう動くか』といった本番さながらの研修や、全国規模の現場でのDWAT体験の啓発が大事だ」と話した。
救護施設職員が活躍
いしかわ総合スポーツセンターには6月末までに、DWAT以外に大阪から約170人の施設職員らが応援派遣された。
みなと寮からは43人が参加。そのうち約30人が救護施設の職員だった。
「避難所には、介護が必要な人、精神的に不安定な人、知的障害の人、いろいろな人がいる。救護施設の職員は日ごろから、介護、精神、相談など幅広く対応している。そのノウハウが今回、活用できた」と小中さんと中谷さんは話した。
災害法制に「福祉」を
災害救助法は1947年に成立したが、「福祉」は応急救助の枠組みから外れたままだ。
全国社会福祉協議会は、災害救助法の第4条第1項第4号に「福祉」を追記し、「医療・助産及び福祉」に修正するように、要望している。
大阪府福祉部の吉田真治部長は、「南海トラフの巨大地震や台風などの自然災害への備えとして、平時の訓練、体制づくりが重要」との認識を示したうえ、「DWATの皆さんの経験を生かさせていただきたい」とあいさつ。災害時活動も「福祉」の重要責務と自覚しながら、今後を見据えた。