【大阪公立大 3】市大が行政の頭脳に
2026年04月21日 福祉新聞編集部
大空襲。1945(昭和20)年8月、大阪は焦土と化して終戦を迎えた。
杉本キャンパス(住吉区)にある大阪商科大の学舎の一部は、終戦前年の44年から、日本海軍が海兵団施設として使っていた。苦難を越えて発展した、市大福祉をみる。
大阪市大、接収の中で開学
45年10月、占領軍は大阪商大の杉本キャンパスを接収した。急きょ、市内の複数の小学校を仮校舎とした。
47(昭和22)年3月に学校教育法が施行され、大学基準によって49年4月、大阪商大、市立都島工業専門学校、市立女子専門学校(女専)を統合して「大阪市立大」が誕生した。
だが、接収は続いた。焼け跡の仮校舎を分散して使う「タコ足大学」だった。
全学挙げて、キャンパスの返還を要求した。
初代学長は、商大の第3代学長だった恒藤恭(1888~1967)。開学式は2カ月遅れの6月1日。逆境の中で、新学長は言った。
「我国における第2の都市であり、産業都市としては第1位である。祖国の再建、新しい日本の建設への貢献が、新大学の使命である」
朝鮮戦争とキャンパス返還
昨年9月3日の昼下がり。京都・四条の老舗レストラン。その女性は、少し身を乗り出して言った。
「児童用の小さな机といす、窮屈でしたね」
小学校での分散授業の回想である。
1950(昭和25)年に朝鮮戦争が勃発。キャンパスは軍事病院になり、米兵の遺体輸送の中継地にもなった。
そのころ、女性は足しげく杉本キャンパスへ出掛けた。
「返せ、返せ」
返還要求デモへの参加だ。ある日、遺体安置所になっているキャンパス内の建物に近づくことができた。屋内にプールが見えた。
遺体がいくつも浮いていた。
「朝鮮戦争で戦死した米兵です。氷も浮いていました」
キャンパス返還は、さらに遅れた。全面返還は、55年9月。接収から10年が過ぎていた。
女性は大阪府立大名誉教授の右う田だ紀久惠。市大家政学部1期生。今も、現場とかかわりながら、活躍している。
第一講座は「調査工場」
福祉の学び舎となる家政学部は、バラックが建ち並ぶ大阪市西区の女専が使っていた白髪橋校舎にあった。
家政学部の社会福祉講座第一講座(社会福祉学)の教授は岡村重夫(1906~2001)。第一講座はいつも、大阪市の多様な調査研究を担っていた。
右田は卒業後、岡村に乞われて助手になる。
「同時並行で、4種類ぐらいの調査を引き受けていました。市販の覚醒剤ヒロポン(商品名)を飲んで、1週間の徹夜は常。若かったからできたことですね」
1962(昭和37)年に大阪社会事業短期大(社短大)に移るまでの約10年間、岡村と講座の在り方について折にふれて話し合った。
50~60年代前半は「アメリカ社会事業の直輸入の時期」(一番ケ瀬康子「現代社会福祉論」)とも評されていた。
岡村は常々、「大学の研究や調査は、行政に役立たないと意味がない」と話した。右田は、「アメリカ偏重ではなく、イギリスからも学ぶべきではないでしょうか」と提言した。障害や疾患のある人が病院や施設ではなく、地域の中で普通に暮らせるように支援する「コミュニティーケア」が脳裏にあった。
社会福祉を合理的、効率的に運営する「ソーシャルアドミニストレーション」の考え方もあった。
そんな中、岡村は現場実践を強く勧めた。
右田は阿倍野区保健所をフィールドにして60(昭和35)年、市大医学部神経科教授の中脩三研究室とチームを組み、母子保健相談事業に取り組んだ。
この研究成果は「3歳児では遅すぎる」という学説になり、当時の厚生省の「3歳児健診」「0~1、2歳児健診」の制度化の基礎となった。
「理論の市大」……岡村理論
岡村は57(昭和32)年に、柴田書店から「社会福祉学総論」を公刊して、「岡村理論」を世に問うた。
「マルクス主義理論では、社会や経済の構造のみに目を奪われ、そこで生きる個々の人間の姿が見えない」
こう主張して、「生活者主体」という概念を打ち出した。コミュニティーに基本を置いて、地域福祉を「住民の主体的な参加で課題解決する機能」とみた。
岡村は70(昭和45)年に定年退職し、関西学院大に移った。
市大では75年春、家政学部が生活科学部となり、大学院も博士課程(前期・後期)として認可された。
翌76年に、教授の柴田善守(1922~93)が学部長(研究科長)になる。白澤政和(大阪市大名誉教授)が88(昭和63)年に教授になり、2004(平成16)年4月に学部長となった。
白澤は言った。
「『岡村理論』によって、日本のソーシャルワークが理論的にこういうものだと明確になりました。それぞれのソーシャルワークの専門職が、自分の仕事を、岡村理論をもとにしながら確立していきました」
そして、こう続けた。
「シンボリックな言い方ですが、当時、理論の市大、ソーシャルワークの関学、実践の同志社と言われました」

岡村重夫(中央)を囲む右田紀久恵(左)と白澤政和
講座制と「人づくり」
家政学部には、社会福祉学、家族社会学、生活経済学などの講座があった。
「市大の一番の特徴は、講座制という仕組みです」(白澤)
講座制は教授が筆頭となり、助教授、助手とチームを組んで研究する体制だ。ゼミでも、助教授、助手は、教授と同席して学生とディスカッションする。研究費も豊かだ。
講座制でない大学は教員が一匹おおかみ的に動くが、市大はチームで研究して、チームで学生を育てていった。
右田をはじめ、白澤、上野谷加代子(同志社大名誉教授)、牧里毎治(関西学院大名誉教授)ら、多くの研究者が育ったのである。

