【大阪公立大 1】知事・市長が自ら福祉実践
2026年04月21日 福祉新聞編集部
昨春、大阪市立大と大阪府立大の統合で誕生した大阪公立大。生まれていきなり、創基140年を超える学び舎になった。
ただ、市大と府大は、今の2回生が卒業する2025(令和7)年春まで存続する。それまで3大学が共存する。福祉の領域は、これまでの体制を維持している。
「福祉は上方から」と言われた大阪の社会事業。市大と府大は、「研究知を行政に活かす」を徹底して、その一翼を担ってきた。1981(昭和56)年に府大と合併した大阪社会事業短期大の歩みも輝く。光源へ。温故知新の旅に出る。
大正の世に光源
大阪メトロの阿波座駅(西区)。近くにある阿波座南公園の一角に、記念碑が建つ。市大のルーツである大阪商業講習所の跡地だ。1880(明治13)年に、実業家、五代友厚(1836~85)ら財界人の寄付で創設された。
府大はその3年後、83年に大阪府立医学校(大阪大医学部の前身)内に開設された獣医学講習所を淵源とする。農業振興の観点から、獣医師の養成を目的とした。
「福祉の学び舎」としての発展は、両大学とも戦後になるが、大正の世から、知事や市長が福祉行政を熱く実践した。
「大学は都市と共にあり、都市は大学と共にある」
こう言い放ったのは、第7代大阪市長の関一はじめ(1873~1935)。その思いは、歴代首長も同じだった。
米騒動、方面委員制度
その時、経済学者、河上肇(1879~1946)の「貧乏物語」が、ベストセラーになっていた。第1次世界大戦(1914~18)終結の間際のころだ。
戦争特需による好景気の一方で、都市の困窮者は増えた。労働争議も頻発した。
1918(大正7)年夏、民衆の不満が爆発した。
「コメを寄こせ」
米騒動である。米穀店や警察が襲撃された。
引き金は、7月12日に出されたシベリアへの出兵宣言。需要拡大を見込んだ米商人は、米を買い占めた。売り惜しみした。米価が高騰した。
府や市は、米を通常より安く売って、民心を和らげた。だが、8月9日、西成郡(現在の西成区)の米屋が襲われた。群衆が警官と衝突した。
荒れた世相を背景に、大阪府の方面委員制度が生まれていく。現在の民生委員児童委員の原型だ。
方面委員制度の公布は、米騒動後の18年10月7日。立役者は時の知事、林市蔵(1867~1952)と知事顧問の小河滋次郎(1864~1925)。

林市蔵

小河滋次郎
林は、前年の17年12月に山口県知事から府知事に異動。大みそかに、西成の長屋街を見て歩き、「この窮状を救えるのは小河博士をおいていない」と、意を決した。小河は知事顧問に就任(13年4月)して4年半が過ぎていた。法学博士でもある。
小河は、寄る辺ない人々の考察として、こう説いた。
「救済事業の要諦は、『社会測量』だ。本当に支援を必要としている人は誰か。それを見極める調査が不可欠であり、同時に支援を担える人材が必要だ」
岡山県の済世顧問制度(17年創設)などを研究。その後、約10カ月で方面委員制度を仕上げた。
林知事と夕刊売りの母子
林のエピソードがある。
夕暮れ時、淀屋橋の理髪店。松下幸之助らが通っていた「モーラ館」だ。
散髪していた林は、窓越しに夕刊売りの女性を見た。裾の切れた浴衣姿。背中には、むずかる幼子がいる。
帰り道、女性に声を掛けた。
「2人のこどもと街頭に立っています。小学校を休ませて。でも……」
やつれた横顔が、秋の寂寥を一層深めた。
林は、その足で派出所に寄った。巡査に母子の身元調査を命じた。復命書は、その日のうちにあがった。
<女性は35歳。夫は40歳。働き盛りだが脚気を患って臥せたまま。電灯もつかず、薪もない。夫の診療費もない>
貧しい病人を診る病院は近くにある。困窮家庭のこどもは授業料を免除される。でも利用している形跡はない。
「依頼心がないのか、すべを知らないのか」
林は自問した。そして苦悶に変わった。
「これまでの社会事業は一体、誰を救済してきたのか。救いを求めてこないからといって、救済の手から漏れてよいのか」
小河の説く、「社会測量」に行きつく話だ。
8年で38万件を救護
方面委員には、商店主や家主ら、地域に定住する人々を委嘱した。区割りは、小学校区を中心に約2500世帯を基準に設定。そこに10~20人の方面委員を配置した。
活動の実績について、次のような記録がある。
<3万1091人の要救護階層の存在が明らかになり、1919年から26年までの間に相談指導、保健医療、育児就学、周旋紹介など合計38万1589件の救護を実施した>(「大阪における社会福祉の歴史1.」大阪市社会福祉協議会刊)
方面委員制度は10年後の28(昭和3)年、全国に及んだ。翌29年には救護法が公布され、施行に伴って方面委員が救護委員を兼ねた。
救護法は、生活困窮者や障害者らの居宅での救護を定め、費用は国や自治体の負担とした。そして、戦後の生活保護法につながっていく。
日中戦争が勃発する半年前。37(昭和12)年1月、方面委員令が発令された。公布から20年、国家的施策になったのである。
大阪公立大メモ
2022年4月に誕生した。「総合知で、超えていく大学。」がキャッチコピー。25(令和7)年秋、大阪城の近くに森之宮キャンパスを開設予定。杉本(大阪市)、中百舌鳥(堺市)など五つのキャンパスと一つのサテライトを持つ学び舎になる。
現代システム科学域1学域と11学部、15の大学院研究科からなる。学生数は約1万6000人。福祉領域があるのは、現代システム科学域にある教育福祉学類(定員45人)と生活科学部(定員153人=食栄養学科65人、居住環境学科43人、人間福祉学科45人)。教育福祉学類は、福祉系・子ども家庭系および教育系が融合した学びだ。
設置運営は公立大学法人大阪(本部=阿倍野区)。理事長は西澤良記。学長は辰巳砂昌弘。現時点では、市大と府大の学長も兼ねている。

