【駒澤大・中】「仏教と人間」全学で学ぶ

2026年0428 福祉新聞編集部

 大正から昭和への時代の変わり目に衝撃が襲った。ロシア革命(1917年)と世界恐慌(1929年)だ。
 1920(大正9)年、内務省に社会局が設置された。2年前の大阪の米騒動など不安定な世情を背景に、内務省は社会事業の充実を図るために財団法人中央社会事業協会(後の全国社会福祉協議会)が始めた「社会事業従事者養成事業」を支援した。大学または専門学校卒業生を対象に各種社会事業の原理や実務を1年間かけて研修した。
 研修は1928(昭和3)年から6年間実施され、延べ20大学の62人が研修を修了、内務省や都道府県のほか中央社会事業協会、日本赤十字社、済生会などへ就職した。修了者は東京帝国大学が15人で最も多かった。2番目はわが国初の社会事業学部を開設した日本女子大学校の6人、駒澤大学は明治学院とともに5人だった。社会事業への関心は高かった。

寺院の更生説く

 そんなさなかの1933年、駒澤大学の古坂明詮教授が論文「寺院は如何にして更生すべきか」を発表した。東京帝国大学出身の社会事業学教授だ。
 古坂教授の論文は、仏教の在り方について、「一般民衆を教化善道しその宗教的教養を涵養し、信仰を確立してその生業につかしめ、以って生き甲が斐いのある一生を送らしめるのが、その本分の中心である」と論述した上で、次のように結論付けた。
 僧侶は世間に関与せず、法事葬式さえしていればよいという思想を打破し、宗教的に導いてくれるという観念を持たれるのが更生の第一歩だとし、方面委員を引き受け、貧民を助けよ。地方の実情に応じて託児所、幼稚園、日曜学校、母の会などを寺院に開設せよ。そしてデンマークで農村を繁栄させた産業組合のような組織をつくり、指導する僧侶になれば、「寺院の更生や僧侶の生活問題は、何ら心配なくなる」と、仏教による社会事業の充実・発展を訴えた。
 折しも、1929(昭和4)年に公布されていた救護法が32年に施行となり、日本独自の社会事業政策が動き出そうとしていた。しかし、暗雲が立ち込めてきた。軍部の動きは急で36(昭和11)年の2・26事件などが続き、世の中は軍事色に染まって、「社会」という言葉も追放された。
 その翌年には駒澤大学の校庭で軍事教練が開始された。さらに43年になると学生は都内各地にある軍需工場へ動員され、同年10月21日には明治神宮外苑競技場で駒澤大学生も参加しての出陣学徒壮行会が行われた。45年7月には、国防のため学内に戦闘戦隊が編成されたのだった。
 やがて同年8月終戦、9月から授業が再開された。当初は少数の学生しかいなかったが、戦地から、軍需工場から学生が続々復学し、翌年には1000人になった。
 1949年、教育改革によって駒澤大学は新制大学に移行。仏教学部、文学部、商経学部が設置された。
 社会福祉は文学部の社会学科が担当、社会学、社会福祉学の二専攻で編成された。社会学科発足当初は、専任教員である川辺喜三郎、古坂明詮両教授を中心にカリキュラムが組まれた。川辺教授はハーバード大学から学位を授与された社会学、社会心理学の、古坂教授もシカゴ大学から学位を授与された家族社会学、都市社会学、社会福祉学の権威。わが国の貧困研究の第一人者で、日本社会福祉学会で「貧困の小沼」といわれた小沼正講師もいた。
 また、日本で最初に児童福祉司の資格を取り、「現代児童福祉の研究」により慶應義塾大学で博士号を取得した大久保満彦教授、日本社会事業大学の学長になった高橋重宏教授(社会福祉学)らも加わり、「駒澤に社会学科あり」の名声を高めた。
 1969(昭和44)年には心理学コースも設けられ、72年からは社会学コースと社会福祉コースの3コース制の学科になった。社会福祉コースでは、人間尊重・平等を核におき、福祉実習などを通じて福祉の実態に触れる理論と実践、思考と体験を有機的に結び付ける体得学習をした。3、4年次からは小グループによる演習活動を通じて福祉の知識と理論も学んだ。同コースを学んだ卒業生は国や地方自治体の公務員、社会福祉法人の職員として活躍している。
 社会学科は1999年に創設50周年を迎え、記念誌に1957(昭和32)年卒のOBが一文を寄せている。いわく。
 「我が駒澤大学は、早稲田や慶應にない人間形成に優れた基盤を持つ大学だと信じております。何故ならば、それは、『道元禅師』という世界に誇る一大思想家の教えを教育理念にしているからであります。世のため・人のため、ひたすら頑張ることのできる人材教育機関であってほしいと念願する」。

静ひつな空気に支配される座禅堂

座禅の授業も

 今、駒澤大学には全学部の1年生の必修科目として「仏教と人間」がある。1998年の新カリキュラム導入時から始まった。仏教の知識や歴史を学ぶだけではなく、仏教や禅の考えを参考にしながら自分自身の人生の意味や在り方を考察していくものだ。座禅の授業もあり、座禅堂には道元禅師に学ぼうとする学生の姿が絶えない。

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