【佛教大・中】花開く「佛大福祉」通信教育も礎に

2026年0331 福祉新聞編集部

佛教大学・紫野キャンパス。礼拝堂の正面には、<礼拝堂水谷幸正(こうしょう)記念館>と刻まれた石碑がある。
水谷幸正(1928~2014)の名前が冠されているのは、佛大での50余年にわたる功績をたたえてのことだ。
「お寺に例えれば、中興開山です」
水谷を継いで第7代学長に就任した伊藤唯眞・佛大名誉教授(91)は、こう評した。確かに、水谷は佛大を総合大学として大躍進させた。
「京都には『谷』の付く大学が三つある。龍谷大、大谷大、水谷大だ」
水谷の栄誉をたたえる時に、よく使われるセリフだ。水谷大は、もちろん佛大のこと。いかに水谷の存在が大きいかが分かる。

通信教育の土台固める
1969(昭和44)年4月、41歳で事務局長に就任。10年後に51歳で第6代学長に選出され、さらにその後の10年間、佛大を率いた。
若き日の実績も顕著だ。
通信教育課程を13年間にわたって育て上げ、66(昭和41)年4月に大学本部の総務課長に転出した。
そこで、ばらばらになりがちだった通信教育課程と通学課程の運営を一体化する。これが、その後、佛大に隆盛をもたらす一大転機となる。
この時の人事異動について、『佛教大学史』(72年刊)にはこうつづられている。
<通学課程の拡大充実には、水谷の頭脳と活動力が是非とも要求された>
経営手腕のすごさが際立つ水谷だが、苦労もしている。
事務局長になったばかりのころ、大阪の高校に学生募集のお願いに回った。だが、チラシを置くのが精いっぱい。
同行の職員に言った。
「悔しいね。せめて話を聞いていただける大学にしたい」
このあと、水谷は「目標は、東の東大、西の佛大」と言い始めて夢を追う。

仏教福祉学科を設置
水谷は、チベット語やロシア語にも造詣が深い文学博士であり、仏教学の研究者である。そして、「仏教即社会福祉」の実践理念を持つ論客だ。
昭和30年代に端を発する学部学科改組の仕事の根底にも、「社会福祉への思い」が流れていた。
「仏教だけでなく、社会福祉も学びたい」
通信教育課程の受講生からの声を、30代だった水谷は真しん摯しに受け止めていた。福祉に夢を託す、リスタートの社会人や、働きながら苦学する若者がいた。
しかし、通信教育課程に新たな学科を設けるためには、条件があった。通学課程への先行設置だ。いきなり社会福祉学科とはいかず、62(昭和37)年4月1日、「仏教福祉学科」として認可された。
伝統ある1学部1学科制の大学の姿が、解消した瞬間でもあった。
水谷は、社会福祉学科開設20周年記念誌『あゆみ』(83年3月発行)の中で、こう振り返った。
<仏教福祉学科を増設したのは、単なる時代の要請ではない。仏教者は、社会福祉の実践者でなくてはならない。さらに言えば、社会福祉の実践なくして仏教の現代化、社会化はありえない。かねてから私が主張している仏教即社会福祉という実践理念が、すでにこの時に花開いた>

矢継ぎ早に学部改組
このあと、第4代学長、恵谷隆戒(えたにりゅうかい)(1902~79)が、「より開かれた大学に」と学部改組を決断する。
仏教福祉学科を創設した翌年の63(昭和38)年9月、水谷に、文学部新設の「申請事務推進者」という大役を命じた。
1年後、4200ページに及ぶ書類を完成させて文部省に提出。65(昭和40)年4月、仏教学部は文学部に改組され、仏教福祉学科は社会福祉学科となった。
そして2年後、社会学部を増設。文学部の社会福祉学科を社会学部に移設。通信教育課程にも、社会福祉学科を開設した。

恵谷隆戒第4代学長

水谷39歳。教授に昇任した時でもあった。
矢継ぎ早の学部改組。その主眼にもつながる、水谷の著書がある。2005(平成17)年3月に発行した『仏教・共生・福祉』。そこで、「仏教即社会福祉」についてふれている。
<わたくしの意図する仏教社会福祉学は……仏教が人間社会へ展開するには社会福祉という形でなければならない、それ以外の展開の仕方は考えられない、という考え方である。つまり、仏教理念が人間に受けとめられ実現されたものをすべて社会福祉という……>

水谷幸正第6代学長

スクーリング大盛況
昭和40年代には、一般家庭出身の学生が8割に達した。女子学生が増えて、キャンパスは華やぎ始めた。もはや、宗門子弟のみの大学ではなくなった。
そして、通信教育課程も盛況を極めた。
1971(昭和46)年度には、文学部(仏教学、国文学、史学)と社会学部(社会学、社会福祉学、教育学)の2学部6学科がそろい、夏休みに行われるスクーリング(面接授業)は、約4500人に達した。わずか31人だった初回(昭和28年度)とは雲泥の差だ。
この時の受講生の職業は、教員1605人、公務員503人、無職272人、会社員222人など。学科別では、教育学科が最も多く1964人、次いで社会福祉学科497人、国文学科221人と続く。社会福祉学科の男女の内訳は、男性199人、女性298人。女性が多くなっていた。

資格じゃない、学問だ
それから15年後の87(昭和62)年5月、さらに通信教育課程の学生が急増する。原因は、「社会福祉士及び介護福祉士法」の施行だ。佛大の通信教育で、国家試験の受験資格が取得できる道が開けたからだ。
「スクーリングの熱気は、すごかった。当時、300人教室でしたが、席の取り合いです」
佛大副学長の岡﨑祐司教授(社会福祉学部)は、こう振り返った。
「私は20代でした。ある学生から『理念や理論はいいから、国家試験に出る問題を教えてくれ』と声が上がりました。すると、周りの学生が『ここは大学だ。予備校に来たんじゃない』と、強くたしなめた。みなさん、学問として福祉をやりたい、ということがよく分かりました」
授業が終わると毎回、拍手が湧いた。
「受講生は、社会人が多い。私たち教員が鍛えられました。他大学の通信教育が増えて、佛大の通信の受講生は減っていきますが、『学問や思想をおさえたうえで、資格取得の勉強をする』という姿勢は崩さなかった。そこは、しっかり守ってきたし、これからも守ります」
そして、こう話した。
「関関同立(関大、関学、同志社、立命館)が総合商社とするなら、佛大は、京都の老舗の和菓子屋。でも伝統は、常に改革されていかなければならない。今という時代にあったお菓子を出す。出し続けることが大切です」

(関西支局・平田篤州)

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