【花園大・上】禅的仏教精神による人格の陶冶(とうや)

2026年0324 福祉新聞編集部

花園大学キャンパス(京都市中京区西ノ京)の一角。ひときわ目を引く白亜の建物がたたずむ。「教堂」と呼ばれる講堂だ。ここで行事のたびに唱えられる祈りがある。
「願わくば われらは常に 万人平等に具(そな)えられし仏心を見失わず 世界の平和を願求(がんぐ)し 暴力に訴えず……」(「花園大学教堂の祈り」から)
ドーム型の丸天井は、祈りの声を建物の隅々まで響きわたらせている。

教堂は花薗大学のシンボル

宗門子弟の般若林が起源
花園大学の起源は、1872(明治5)年、京都市右京区にある妙心寺山内に創設された宗門子弟の教育機関、般若林にさかのぼる。
鎌倉時代、日本に伝わり興った臨済宗は京都、鎌倉を中心に発展。14の寺院に分派した。妙心寺は、その中の最大流派をなす国内最大の禅寺。東西500メートル、南北600メートルの広大な敷地に、一直線に甍(いらか)を並べる七堂伽藍(しちどうがらん)の威容は見る者を圧倒する。
創建は1337(建武4)年。禅宗に深く帰依した花園天皇の命を受け、臨済僧の関山慧玄(かんざんえげん)(無相大師1277~1361)が「花咲き風光明媚(めいび)な当地(花園)」で、禅寺を開いたのが始まり。大学名はこの地名に由来する。
般若林の学生は、ほとんどが宗門寺院の子弟だった。規則は旧来の修行道場に順じ、学業の合間に作務・托鉢(たくはつ)など禅の実践を重んじた。
3年後、般若林は閉鎖され、改組・改称しながら学校のありようを模索し、1907(明治40)年、中学部、高等部を備えた専門学校、花園学院として文部省の認可を受ける。校舎は妙心寺の隣り、花園木辻北町に構えられた。
当時は仏教を主体とし、禅の教義や仏教学のほか、漢籍、洋学、数学などを教えた。全寮制の寄宿生活は、戒律が厳しく、室内では壁や柱にもたれることさえ禁じられた。

孤児らを救済した今川貞山
教科にはまだ、福祉教育の文字は見られなかったが、当時の学校運営に、孤児や棄児の救済にいち早く着手した僧侶が関わっていた。
妙心寺派の臨済寺(静岡県の幼年期の徳川家康が教育を受けたという名刹(めいさつ)の住職、今川貞山(ていざん)(1826~1905)である。
維新直後の混乱期。貧困にあえぐ人々が急増し、子どもを育てられずに堕胎、間引き、身売りが横行したが、国の救済制度は十分ではなかった。
「黙って見過ごすわけにはいかない」
貞山は、官僚の杉浦譲(初代郵政大臣)らとともに、貧児・孤児救済のための任意団体「福田会(ふくでんかい)」を結成した。
貞山が花園学院の前身となる教育機関「大衆寮」の総理(校長)に就任する7年前、1876(明治9)年のことである。
福田会は、「善い行いの種をまけば、幸福(功徳)がもたらされる」という仏教思想に基づき結成された。3年後、東京日本橋で「福田会育児院」を開設。当初は関東周辺の宗派を超える僧侶らが運営に当たった。その後、渋谷区広尾に移転し、現在の児童養護施設広尾フレンズ(社会福祉法人福田会)の前身となった。
育児院は、その長い歴史の中で、第1次世界大戦後の1920(大正9)年には、ロシアの内戦や飢餓で親を亡くし、極寒のシベリアから救い出されたポーランド人孤児ら375人を受け入れ、宿舎を提供するということもあった。

臨済宗大学と釋宗演
校名に初めて「大学」の文字が入るのは11(明治44)年のこと。花園学院高等部を分離独立し、臨済宗大学に改称した。国の制度に基づく「大学」ではなかったが、本格的な学問機関を目指した。
一方で、妙心寺教団内から資金難などを理由に「禅宗などには何の必要があって大学の如きものを設けておくか、僧堂だけで充分である」と大学設立に反対する声が上がる。
これを「今日の時勢には遅れてをる」と喝破したのが、2代学長、釋宗演(しゃくそうえん)(1860~1919)だった。(『臨済大学々報 創刊号』)
宗演は、禅の近代化を進めた立役者だ。鎌倉の円覚寺で修行し、慶應義塾で英語を学び福沢諭吉(1835~1901)とも親交を深めた。
1893(明治26)年、シカゴ万博の一環で開かれた万国宗教会議に出席し、日本人僧侶として初めて禅を「ZEN」として欧米に伝えた。

2代目学長釈宗演釋宗演

世界の趨勢(すうせい)を知る宗演は、漫然と座禅を行い、宗門内で派閥争いに明け暮れる状況を「何たる偏狭ぞや」と嘆いた。「今の世には禅宗各派一丸の『禅宗大学』の設立が、いや仏教を東洋思想の大産物と捉える『仏教大学』の設立が必要」だと高い理想を掲げた。
大学令が制定(1918=大正7年)されると、龍谷大、大谷大、立正大、駒澤大など仏教系大学は、専門学校から大学へ相次ぎ昇格する。
だが、妙心寺教団は財政事情が厳しく、臨済宗大学の大学昇格を断念。定員60名、3年制の臨済学院専門学校となる(34年)。老朽化した校舎の改築計画も持ち上がるが、時代は戦争へと突き進む。物資の統制などもあり、計画は頓挫とんざしたまま終戦を迎えた。

臨済禅と福祉教育
ここで、建学の精神「禅的仏教精神による人格の陶冶(とうや)」について補足する。
臨済宗の開祖、臨済義玄(?~867)は「随所に主と作れば、立つ処皆真なり(どのような状況にあっても、主体的に行動できれば、この世に生を受けた意義や自己の尊厳を自覚できる)」と説いた。
大学では、この考えを人格陶冶の基礎とする。臨済禅は、仏に祈り救いを求める「他力」の仏教ではない。座禅により自己を見つめ、鍛錬し、優れた知恵を身につける「己事究明」が根本の教えだ。
そのなかで社会福祉学部は「『利他の精神』に基づいて社会貢献する人材育成」を目指している(花園大学ガバナンスコード)。
社会福祉学部で長年教壇に立つ安田三江子教授(社会福祉学科)はさらに、「『自他不二』という考え方を大切にしています。自分も他人も等しく大切な存在。すべては深い個と個の感情の共有を土台とするものであるという考え方です」と付け加えた。
花園大学はこれら尊い教えを途絶えさせることなく、今年、創立150年を迎え、6月14日、創立記念式を執り行った。
(関西支局・和田依子)

花園大学メモ
 文学部3学科、社会福祉学部3学科、大学院文学研究科3専攻、大学院社会福祉学研究科1専攻の京都市中京区にある総合大学。付属機関=国際禅学研究所、歴史博物館、人権教育研究センター。学生数約1700人。
 担任制度を採用し、学生との対話を重視する「面倒見の良さ」が特長。国家試験合格率(%)=社会福祉士32.7(全国平均31.1)、精神保健福祉士100(全国65.5)
 学長=磯田文雄 総長=横田南嶺。運営主体は学校法人花園学園。系列教育機関=花園中学高等学校、洛西花園幼稚園。

 

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