【明治学院大・上】Do for Others の理念で

2026年0310 福祉新聞編集部

ローマ字は小学3年生で習う。英語などラテン語のアルファベットを日本語で表記したものだ。例えば「し」。si(訓令式)とshi(ヘボン式)の二通りがある。
後者を発案し、自ら編さんした日本最初の本格的な和英辞典『和英語林集成』(1867年)で使ったのが、「美国平文先生」ことアメリカ長老派教会宣教医ジェームス・C・ヘボン(1815~1911)だ。今年160年目を迎える明治学院の創設者である。

ヘボン塾
米ペンシルバニア大学で医学を修めた彼は、徳川幕府による大政奉還8年前の1859(安政6)年、キリスト教を広めるためクララ夫人とともに横浜の土を踏んだ。外国人居留地で診療のかたわら、男女共学の英学塾「ヘボン塾」を1863(文久3)年に開講。首相・蔵相になる高橋是清(1854~1936)や外交官の林董(ただす)(1850~1913)ら逸材を育てた。ヘボン療養所の礼拝堂ではヘボンの後任として第2代総理(学院長)となる元会津藩士、井深梶之助(1854~1940)も18歳で受洗している。
さらに1871(明治4)年には、やがてフェリス女学院大学(横浜市)の母体となる女子の洋学塾が独立。また、18年にわたるヘボンの完全無料の救療思想に触れ、盲学校や医療に携わる日本人もいた。
後に開塾の年をもって学院の起源(創立年)と定めるが、この時まいたヘボン・スピリットこそDo For Others(「他者への貢献」)―。今に至る学院の理念だ。「視野を広げ、周囲を見る余裕を持ち、自分だけよければよいという考えはやめようというメッセージです」。村田玲音(れお)学長=経済学部教授=(68)はやさしく解説する。

ヘボン塾跡地に建つ記念碑

藤村と賀川
長老派教会とカルヴァン派に近い改革派教会の流れをくむ東京一致神学校・東京一致英和学校・英和予備校の合併により、現在地「白金の丘」に明治学院の校名を掲げたのは1887(明治20)年秋であった。文学や物理学などの専門学部、上級学校への進学に備える普通学部、そして神学部の三つだ。辞典の印税を寄宿舎の建設資金などへ寄付したヘボンは初代総理に迎えられている。
多くの人材が学院の門をくぐった。中でも知られているのは普通学部1期生の文学者・島崎藤村(1872~1943)、そして18年あとの1905(明治38)年に旧制徳島中学から15歳で神学部に入ったキリスト教社会運動家・賀川豊彦(1888~1960)だろう。
英語に磨きをかけようと学院を選んだ藤村は、樹木の多い静かな丘や谷を歩き、宗教の話に耳を傾け、学校の図書館で西洋詩人の伝記を読みふけったと、「明治學院の學窓」(『新片町だより』1932年)で懐古している。
一方、読書家の賀川は平和主義ゆえの一家言から、学友にいじめられるなど苦労したらしい。2年後に神戸神学校へ移るが、長編小説『破戒』(1906年)で人間差別の不合理を問うた藤村を1908(明治41)年に訪ねている。このとき持参した自作『鳩の真ま似ね』は、のちに大正の大ベストセラー『死線を越えて』(1920年)となって一世を風びしていく。
これも縁というものだろう。

卒業記念に植えた樹(イヌグス)の前に立つ島崎藤村。恩師・井深梶之助の葬儀で学院を訪れた

朝鮮人留学生を守る
賀川の名が再び人々の口に広くのぼるのは、関東大震災(1923年9月)のときだ。死者約10万人。海路、神戸から横浜へ着いた彼は、朝鮮人に対する流言飛語にあおられ、竹やりなどで「凡すべての人が武装している」と驚く。キリスト教青年会に交じり東京・下町で救援活動。また、学院の学生や教員も警察と協力し、日比谷公園や芝公園で「尋ね人はいませんか!」と被災者へメガホンで叫び、安否確認に努めている。
この頃、専門学部から改組した高等学部文芸科に5人の朝鮮人留学生がいた。身の危険を感じた2人を都留仙次学部長の計らいで中山昌樹教授宅にかくまった。「出せ!」。軍刀を振りかざす予備役軍人の体育教師に、学部長は「斬るなら斬りなさい。わたしは神の御心に適かなうと信じ、行動するのみ」と突っぱね、守り通したという(『明治学院大学百五十年史』、大学報「しろかね」12号)。
ただ、学院の中心的存在ながら、神学部の財政負担は重く、白金校地が手狭になったこともあり、神学部だけ東京・角筈(つのはず・現在の新宿駅付近)へ移転。6年後の1930(昭和5)年には学院から分離、東京神学社と合同で日本神学校を創設していく。この経過の中で高等学部に生まれたのが「社会科」(3年制)、今の社会学部のルーツであった(1928年)。
総理だった田川大吉郎(1869~1947)は次のように抱負を述べ、学生たちに奮起を促した。
「社会……の進歩発展に貢献せんことを期して設けられたのである。……社会相の危険、社会問題の噴出錯綜せる今日の時代に於いて、青年学徒の来つて共々に研究せんことを希望する」
しかし、待っていたのは時代の嵐であった。

(横田一)

明治学院大メモ
 白金(東京都港区)と横浜(横浜市戸塚区)の両キャンパスに文、経済、社会、法、国際、心理の6学部・大学院を持つ総合大学。学生数約1万2000人。

 理事長=山﨑雅男▽学院長=小暮修也▽学長=村田玲音。
 キリスト教研究所、国際平和研究所など大学・学部付属の10研究機関を有し、系列の中高を備える。米英仏独豪、ブルガリア、エジプト、中国、韓国など世界22の国・地域の80大学およびアジア・キリスト教大学協会と留学・学術交流の協定を結び、グローバルマインドの育成に力を注ぐ。

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