【同志社大・下】諸君ヨ、人一人ハ大切ナリ
2026年03月17日 福祉新聞編集部
童謡「浜千鳥」が歌われた。発足した国際連盟に、日本も加盟した。そんな1920(大正9)年、前年に施行された大学令によって、2月に早稲田、慶應義塾が大学に昇格、4月に同志社英学校が「同志社大学」になった。
新島襄(1843~90)が逝ってから30年、脱国の志が実った。それは、のちに「政治の早稲田、経済の慶應、社会事業の同志社」といわれる起点でもあった。
日本初、大学に福祉学
1931(昭和6)年4月、社会事業学専攻課程が、文学部神学科に設けられた。大学では、日本初となる「福祉の学び」のカリキュラム化だ。
少数精鋭。専任は、30年に文学部の専任講師になっていた竹中勝男(1898~1959)1人。1期入学生は5人。
軍靴が高鳴る。
学徒出陣。45(昭和20)年8月15日、終戦。
混乱の学内を、教授になっていた竹中が、けん引した。48(昭和23)年、文学部に社会学科をつくり、社会福祉学、社会学、新聞学の3専攻を設置。50年には、社会福祉学専攻の修士課程が、大学院文学研究科に設置された。大学院でのカリキュラム化も、わが国初だった。
竹中は、1953(昭和28)年に参議院議員に転じる。この時、米国留学から呼び戻されたのが、竹中より11歳若い、嶋田啓一郎(1909~2003)。戦前、結核となり、7年半の臨床生活を経て、戦後に復職。シカゴ大学に留学していた。
嶋田は常に、こう言った。
「良心を手腕に運用する人物。その手腕は、客観的・科学的認識を絶対に必要とする。しかし、それを動かすのは良心。良心教育を抜きに大学教育は成立しない」
中学生の時、新渡戸稲造に会った。「夢は小説家です」というと、「若い人が小さな説(小説)ではだめだ」。賀川豊彦に相談すると「同志社へ行け」。希代の同志社人は、こうして生まれた。

嶋田啓一郎
ソーシャルワークに光
同志社は、国際主義を謳(うた)っている。アメリカの宣教師や学者が、奉職している。
ドロシー・デッソー(1900~80)もその一人。47(昭和22)年、米国駐留軍の福祉ワーカーとして来日、広島や大阪などで活動し51(昭和26)年、同志社へ。70(昭和45)年まで、児童発達論やケースワーク、フィールドワークを教えた。
「日本では、心理的理解を抜きに仕事が行われている。家を失った人の修復の面倒はみるが、その人の心持ちには何の考慮も払われない」
デッソーはこう言って、心理面、精神面をおさえて活動するソーシャルワークのプロを養成。「現場が第一」と、実習研修コースを設置した。
一粒の麦、福祉に生きる
在野の「同志社派」も育った。鳥取県出身の出口光平(1917~81)は、49(昭和24)年春、社会学科に編入。31歳だった。
190センチ近くの長躯(く)。マドロスパイプに、刻みたばこ。その容姿から「長官」のニックネームで呼ばれた。
昨年12月の同志社社会福祉学第35号の特集グラビアには、1期生5人とともに、「長官」が大きく写っている。
<出口氏は嶋田先生を慕ってやってきた聴講生。保育所からはじめて、知的障害、重症心身障害児施設を建設、亀岡(京都府亀岡市)を福祉の街とする。天下に比類なき、われわれのリーダー>
こう書いたのは、出口と机を並べた1期生の井垣章二(1927~2007)。のちの同志社大学教授だ。
出口は、志半ばの64歳で逝く。新約聖書の「一粒の麦」にふれて言った。
「全部失っても悔しいことなんてないよ。自分が生涯をかけて切り拓いてきた福祉の道を、だれかが継いでくれれば、それで嬉しい」
その遺志は、社会福祉法人松寿苑(京都府綾部市)や社会福祉法人松花苑(亀岡市)などに、今も息づく。昨年3月には、単行本「福祉を生きた長官」(西澤龍男著、天声社刊)が出版され、出口の歩みが見直されている。

出口光平
2005年、社会福祉学科に
2005(平成17)年、文学部が再編されて社会学部が誕生。それまでの社会福祉学専攻は、現在の社会学部社会福祉学科になった。
社会福祉学科の講義は、主に新町キャンパス(京都市上京区)の尋真館と臨光館を使う。その2館を結ぶ渡り廊下の壁面に、新島襄の言葉が刻まれている。
<諸君ヨ、人一人ハ大切ナリ>
1885(明治18)年秋。英学校開校10周年の記念式典で、新島が使った言葉だ。といっても、人生訓ではない。海外で静養している間に、学生が退学処分になった。その学生の将来を気遣って、思わず涙して発した言葉だった。
研究室は、新町キャンパスの渓水館にある。空く閑が浩人教授は、壁面を見上げて、思いを新たにする。

「学生一人は大切なり」
社会福祉学科は1学年約100人。卒業生は、福祉系のさまざまな分野で活躍している。今月29日、空閑教授は、日本社会福祉学会の会長に選任された。会員約4500人。
「会員一人は大切なり」
学としての社会福祉の推進にも努める。
地の塩を育てる新島塾
2019年春、同志社大学新島塾が開設された。20人の選抜学生が2、3年時に2年間学ぶ。単位とは無関係。意欲的な学生が集う、志豊かなプログラムだ。
塾長でもある、植木朝子(ともこ)学長は言った。
「書物を読むことがテーマの一つです。広い気づきを得て、知識の欠損を埋めて論理的に考え、言語化する。リーダーシップだけでなく、フォロアーシップも兼ね備えた、聖書で言う『地の塩』。そんな人物の育成を目指しています」
20(令和2)年春に就任した植木学長。「女性初の学長」と言われる中で、ダイバーシティーの推進を掲げてきた。
「大学では、自分とは違う考え方や価値観に出合う。『他者』を尊重し、理解し、共感する。『人一人は大切なり』は、ダイバーシティーにもつながる。『人一人……』を色濃く引き継いでいるのが福祉学分野。もともと神学科に専攻があり、キリスト教主義に基づいているという意味では、本学の精神的源流のような存在です」
国文学者として、「言葉の力」も大切にしてきた。手には、救命救急医の犬養楓さんの短歌集『前線』があった。コロナ禍の現場から上梓した作品だ。
社会福祉学科は31(令和13)年、専攻課程の設置から100周年となる。新島襄の「言葉の力」を礎にして、新たな社会福祉の「前線」に挑む。
(関西支局・平田篤州)

