【日本女子大・下】人間と社会 総合的に学ぶ

2026年0224 福祉新聞編集部

1945(昭和20)年、第2次世界大戦は終戦、東京は焼け野原になったが、日本女子大学校は無事だった。3年後には悲願であった大学への昇格が認可され、女子専門学校「日本女子大学校」から新制大学「日本女子大学」になった。
社会事業学部の歴史を受け継いだ家政学部第三類は、戦時中に家政科管理科に名称変更された後、家政学部社会福祉学科として新たに船出した。日本国憲法第25条の中で「社会福祉」の文言が使われた新しい時代を背景に、学科名に「社会福祉」を付けた。学科内では「我が国の社会福祉教育をリードする役割を担った」と活気づいた。しかし、家政学部の所属では「社会科学の学習が制約される」などの不満が強く、58年から文学部所属に変更され、認定される学士号も「家政学士」から「社会学士」に。

研究・実践の場に
学部移行が実現すると、社会福祉学科教員と学生が一体となって社会福祉研究を推進しようとの機運が生まれ、60年、零細企業が密集する足立区興野町に研究と実践活動の拠点として、私立興野保育園内にセツルメントハウスが設立された。同保育園は、東京YWCAの足立幼児グループとして興野神社で青空保育をしたのが始まり。創設者の佐藤利清氏の妻道子さんがYWCAの活動に関わり、また家政学部第三類で社会福祉を学んだことから協力関係が生まれ、実現した。
子ども会活動を皮切りに図書館の開設や母親クラブ、老人クラブ活動が行われ、64年からは「家庭福祉センター・通称みどりの家」に改称。学童保育事業も始め、34年間にわたり地域住民に親しまれたが、93年に閉所した。学童保育は現在、足立区に引き継がれている。
全国の大学で学生運動が激化した60年から70年にかけて、日本女子大でも、大学の社会的役割や、社会福祉研究・教育の再検討が求められ、「社福闘争」と呼ばれる公開討論会が繰り返され、授業が一時停止状態になったこともあった。
社会事業学部(1921年開設)の流れをくむ文学部社会福祉学科は71年、創設50周年を迎え、さらなる充実を目指して75年には大学院が設置された。当時、社会福祉を学べる大学院は少なく、社会福祉学科卒業生のほか、韓国、台湾からの留学生らも入学した。

新キャンパス開設
新たな課題となって浮上してきたのが少子化と大学数の増加による競争激化への対応だった。80年代後半には、大学の将来構想を検討する中で、川崎市西生田地区への移転と新学部開設が議論された。その結果、西生田に新キャンパスを開設する中で人間社会学部の創設と、文学部社会福祉学科の新学部への移行が決まり、1990年、新しい社会福祉に対応する人材育成に向けた人間社会学部が新設された。
人間社会学部の初代学部長には卒業生の一番ヶ瀬康子(1927~2012)が選ばれた。終戦の年に家政学部第三類を卒業。法政大に再入学、法学と経済学を学び、高校教諭などを経て母校に戻り、助手、講師、助教授を経て1968年から教授に就いていた。
一番ヶ瀬は、わが国の社会福祉学の草分け的存在といわれ「福祉のまちづくり研究会」(現・日本福祉のまちづくり学会)の初代会長のほか日本介護福祉学会、福祉文化学会長も務めた。名誉教授として退職した際の最終講義「成瀬仁蔵の社会改良思想」(95年発行の「21世紀社会福祉学」)の中で社会福祉学の役割がますます大きくなると訴えるとともに、創立者成瀬仁蔵への思いを書いている。
「成瀬先生はどのような専門であろうと、それぞれの個性を生かしながら、お互いに共同奉仕のあり方の中で実現していくことを願い、日常的に実践していくことを目指した社会改良思想を、私どもに残されたのだろうと思います」と。
人間社会学部になってからも30年、現在の人間社会学部はどのような学びを学生に与えているのか。
学部ホームページを開くと、「人文科学だけでなく、社会科学だけでもない、まさに『人間と社会』を総合的に学ぶ新しい試み」と記す。「現代社会」「社会福祉」「教育」「心理」「文化」の5学科は、それぞれの分野で「人間と社会」を深く理解する「豊かな知」、それを応用して「社会的に実践する技」を学ぶ。目標は、豊かな人間性と女性の生涯の基礎となる知や実践力の獲得。また人間と社会を総合的に学び、ヒューマンサービスを中心に拡大する職業分野を視野に入れ、社会に貢献できるキャリア育成を目指す。2017年4月から21年3月末まで人間社会学部長を務めた小山聡子教授は「社会正義を追求すること、矛盾に満ちた現状に立ち向かう知恵を、この人間社会学部で身につけてほしい」と書く。

一番ケ瀬康子氏

小山聡子教授

 

目白台に里帰り
日本女子大は、昨年で創立120周年。社会事業学部開設からも100周年。「人間社会学部」は昨年4月に創設の地・目白台に里帰りした。これを記念して同大の成瀬記念館で「女子総合大学へのあゆみ」と題して展示会を開催。また社会事業学部の開設から100周年の記念展も同時開催され、博物館実習の学生6人が時代ごとに区切ってパネルを作成。3月4日まで展示している。
学部の垣根を越えてパネル作りに参加した英文学部4年の山本咲輝さん制作の「社会事業学部開設」のパネルにはこうあった。
「授業は、少人数で教授との交流も深く、特に、4学年の防貧救貧事業科目を担当した家族社会学者で東京帝大教授の戸田貞三が述べた『それが、たとえ1%の人であっても当事者にとっては100%の問題であることをすべての社会悪を考える時に決して忘れるな』という言葉は学生に強烈な印象を残した」と。
日本女子大は、24年度の入学者より自らを女性と自認するトランスジェンダー学生に受験資格を認める決定(20年3月理事会)をしている。
成瀬記念館2階には、創立者、成瀬仁蔵直筆の教育三綱領「信念徹底」「自発創生」「共同奉仕」が展示されている。色あせない教えがそこにある。

教育三綱領

(若林平太)

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