【日本福祉大・中】「福祉」から「ふくし」へ
2026年02月17日 福祉新聞編集部
中部社会事業短大を開くや、学びの限界もはっきりしてきた。2年では人間理解まで深まらない。修了後の専攻科(1年コース)を用意したが、「中途半端」と明治学院大(東京都)や関西学院大(兵庫県)へ編入学する学生は後を絶たなかった。
「4年制の大学を」
教授会は文部省の幹部や大学設置審議会のメンバー(東京大教授)らを招き、カリキュラムなどを検討。1957(昭和32)年、念願実ってわが国初の4年制社会福祉学部へ昇格、創立者・鈴木修学は日本福祉大学と名付け、付属保母養成所も新設した(61年に女子短大保育科へ改組。96年閉校)。短大設立4年後である。
経済学部を開く
学園紛争の嵐が去り、高度経済成長期(1960~73年)へ。福祉施設の未整備や公害など開発のゆがみを伴いながらも、64年制定の母子福祉法(現・母子父子寡婦福祉法)により戦後の福祉6法体制は整い、福祉への関心は高まるばかり。大学、女子短大とも学生は増えていった。
社会の期待に応えるため人文・社会科学系の総合大学へ移行を、との機運が学内に強まっていく。福祉の学徒こそ世間の仕組みを知るべきだと、まず設置されたのは経済学部(76年)であった。
「福祉は『冗費』という経済思想を正さなければ、日本人のしあわせも福祉もありえない」。低成長期に入り、頭をもたげてきた「福祉見直し論」に対し、初代の経済学部長・小島健司教授はこう説いた(『経済学を学ぶ楽しさ』1982年)。福祉を理解する経済人の育成だ。確かに近代的な福祉事業は慈悲心だけではおぼつくまい。
美浜キャンパスへ
〝20年目の決断〟経済学部創設と時を同じくして打ち出されたのがキャンパス総合移転構想である(83年に美浜キャンパスへ移転・完了)。半島の奥深く、知多郡美浜町に「大学と地域文化」をつなぐ拠点をつくり、「青年期一貫教育」の場として付属高校と大学を〝同居〟させたと、大沢勝・名誉総長(元全社協副会長)は語る(『日本福祉大学50年誌』)。
学長や理事長を務め、経営を軌道に乗せた「中興の祖」(丸山悟理事長)という。
その研究組織としてスタートした「知多半島総合研究所」(88年)の機関誌『知多半島の歴史と現在』はいま25号。民俗、地誌、窯業(常滑焼)や醸造業などの産業、文化財さらに住民意識調査と論考の幅は広い。
かくして総合大学を志向する勢いは加速。▽情報社会科学部(95年)▽通信教育部(2001年)=10年後に福祉経営学部(通信教育)へ改組▽08年には健康科学部(情報社会科学部を改組)、子ども発達学部(20年に教育・心理学部へ名称変更)、国際福祉開発学部の三つ同時に。さらに看護学部(15年)▽スポーツ科学部(17年)と増設し、キャンパスも東の知多湾(三河湾)に面する半田市、西の伊勢湾側の東海市へ、また大学院は名古屋市にと、4キャンパスへ拡張していった。
特に通信教育の在籍者は通学生をしのぐ約7000人に達する。「社会福祉への関心の高まりと学びやすさがあると思います。福祉系の大学としては一、二番の数でしょう。福祉現場はいま高齢者ケア、児童虐待、貧困などの課題が重層的かつ複雑化し、縦割りのシステムだけでは対応が難しくなっている。問題に横串を刺し、統合した学びを強化する必要があるでしょう」と、社会政策に詳しい藤森克彦・福祉経営学部長(56)。
インターネット授業、スクーリング(対面演習)と2年かけて学び、社会福祉士試験に合格(20年)した四国の保健師(50代)は、「講義は分かりやすく、演習の最後に先生や職員が国試激励会までやってくれ、うれしかった」と話す。

エレベーター棟(写真奥)や点字ブロックが延びる日本福祉大学美浜キャンパス
「福祉」から「ふくし」へ
興味深いのは創立60周年(2013年)を機に、「福祉」を平仮名書きにし、「地域に根ざし、世界を目指す『ふくしの総合大学』」を大学のコンセプトとして策定したこと。関東大震災後に広まったという漢語「福祉」には、上から与えるものとの印象が拭えない。「もっと人々の幸福を思い浮かべやすい語を」と斎藤希史・元東大教授(中国文学)は提言した(読売新聞2013年6月3日朝刊)。
時の二木立・元学長は、「〝福〟も〝祉〟も『しあわせ』という意味を持っているが、漢字で書くと社会的に弱い立場にある特定の人のみを対象とすると誤解されがち。もちろんこれらの人々に対する支援は本学の原点だが、60年の間に福祉の概念・対象は大幅に拡大した。人間らしく幸せに生きるためのあらゆる活動を包含する言葉として平仮名を用いる」と話している。
「確かにキャンパスには障害のある学生も、また彼らの学びや日々の生活を支援する心優しいサークルが多かった」と、社会福祉学部OBの原田啓之さん(47)は昔を振り返った。
日本で初めて内科医院(佐賀県基山町)の一角でアート(絵画、刺しゅう、デザインなど)を仕事にする障害者支援B型事業所「PICFA」(PICTURE<絵画>+WELFARE<福祉>の造語)を運営。佐賀市や福岡市など利用者21人とともに共生社会を目指し歩んでいる。 (横田一)

