【日本社会事業大・中】人に寄り添い、地に足をつけ

2026年0210 福祉新聞編集部

人を見ずして福祉はない。「糊とハサミではなく、足で歩いて学べ」。木田徹郎教授(1902~71)=社会福祉概論=はこう諭した。東京大在学中セツルメントに関わり、内務省社会局などを経て1949(昭和24)年、日本社会事業専門学校の教授に。短大、大学と発展し、仲村優一教授(のちに日本社会事業大第3代学長)へ引き継ぐ67年まで学監(教務部長)を、というより「忙しい葛西嘉資・初代学長(校長)に代わり事実上の責任者だった」と周囲は言う。
この学びが全員必修の「社会調査」であった。

潮谷義子元理事長

祠に蚊帳をつり
甘く切ないテネシーワルツのメロディーが街に流れる1952年夏。その春、短大と併設されていた日本社会事業学校の研究科7期生として原宿校舎の門をくぐった神田均さん(91)=静岡県藤枝市在住=の調査フィールドは神奈川県の海岸に近い農村であった。祠(ほこら)に持参の蚊帳をつって1週間ほど寝泊まりし、2人1組で家計調査に回った。
新制高校(1期生)を出て、ふるさと静岡県佐倉村(現・御前崎市)の村役場に就職。遠州灘の防風林に点在するバラック小屋を巡った生活保護調査の3年間と重なるものがあったという。
「知識も技術もないシロウト。これではだめだと役場を辞め進学したが、制度を知るほど、社会の実相はより深刻なことを実感した」「木田先生の『文化社会学』の講義や文化という言葉には新鮮な潤いを感じたものです」。69年前に思いをはせる。
テキストさえ満足にない。空腹を抱えながら講義をノートにとった。1年後、社会福祉主事の任用資格を手に静岡へ戻り、福祉事務所や県庁など福祉畑一筋に歩んだ。県ボランティア協会の理事長や社大同窓会の副会長も長く務めている。
「貧困研究」がメインテーマだった社会調査については、卒業生なら必ず口にする。漁師の家にホームステイした北海島の礼文島、「ムコに」と誘われた長野県の寒村、被差別部落や夕張炭鉱、そして横浜・寿町や東京・山谷でドヤの住人と朝酒をともにした剛の者も。
この類の社会調査は戦前もあった。しかし、軍事的・生産的な視点に立つ農村経済の更生といった面が強く、困窮を主とする戦後のそれとは違う。

原宿校舎

法廷も見学
「民法〔社会保障法〕の小川政亮先生(1920~2017)には、東京地裁へ傍聴に連れて行ってもらいました」。全国2人目の女性知事、潮谷義子さん(82)の思い出だ。卒業生初の社大理事長(2012~17年)である。入学した1958年春は短大が大学(定員50人)へ移行した年。短大の新2年生が持ち上がりで社大1期生とされた関係で、2期生になった次第だ。
その法廷で展開中だったのは朝日訴訟。「憲法の保障する生存権と文化的な最低限度の生活の、あれが実態でした。文化には地域格差という差別も含んでいるのだと知り、ショックでしたね。でも、校歌はよく歌いましたよ」。
女子栄養大で調理実習もして卒業、生まれた佐賀県や大分県の職員を経て、社大同期の夫・愛一さん(81)の父・潮谷総一郎(1913~2001)が園長をつとめる熊本市の社会福祉法人慈愛園へ。乳児院長だった1999年、熊本県副知事に抜てきされ、翌年には知事急逝に伴う知事選に当選、福祉で培った現場主義「クライアント・センタード」(利用者中心)をモットーに2期8年間勤めた。義父・総一郎、長男の有二さん(54)=2021年春、社大教授(地域ケアシステム論)を辞して慈愛園の養護老人ホームとケアハウスの施設長へ=と3代続く社大ファミリーだ。

密だった教員と学生
学年の定員は1959年から倍の100人になったが、教授会では学生の氏名まで口をついたという。マンモス大学ではこうはいくまい。
「先生のお話ですと、働ける人間のみが人間のようですが、僕は今、働けない人も人間ではないかと思っているのです。マルクスは働けない人間の問題をどう見ていたのでしょうか」。学園紛争で荒れた原宿キャンパスに平穏が戻った1970年代、全学講義に来たマルクス経済学者へ学生のぶつけた質問を社大教授だった小川利夫・名古屋大名誉教授(1926~2007)=教育学=は鮮明に覚えている。「私は、このような学生たちにも導かれた」(『現代世界の生涯学習』より、2002年)と。
子弟のつながりと言えば、1962(昭和37)年度から新入生対象のオリエンテーション・キャンプ(1泊2日)を実施。77年度には3年間の総まとめとして、インテグレーション・キャンプ(同)を始めている。ゼミの合同報告会のあと3年生全員と全教職員がバスを連ねて山中湖畔などへ出かけ、卒論や進路について口角泡を飛ばした。
「残り1年をいかに過ごすか、アルコールも入って、それはにぎやか。『講義が面白くない』と教員にかみつく者もいた」と蒲生俊宏教授(62)=障害者福祉担当。この親密感ゆえか、学生運動による校舎占拠時も機動隊を入れず自主解決しているが、現在こうしたイベントは影もない。「それにしても今の学生は本当に静か」(蒲生教授)と、いささか物足りぬ気である。

 

ことば
 朝日訴訟=結核で国立岡山療養所にいた朝日茂さん(1913~64)が兄から月1500円の仕送りを受け始めたところ、国は生活保護法の日用品費(月600円)をカット、900円も医療費の一部自己負担分へ充当した。低い日用品費は憲法25条〔すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する〕に反すると1957年提訴。一審東京地裁は原告勝訴、二審東京高裁は国側勝訴。最高裁は上告人(朝日さん)の死亡を理由に67年訴訟終了とし、二審判決が確定。

 

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