【日本社会事業大・上】敗残から立ち上がれ
2026年02月10日 福祉新聞編集部
東京と埼玉にまたがる狭山丘陵。その一角に日本社会事業大学(東京都清瀬市、略称・社大)のキャンパスはある。小公園のようだ。隣の国立病院機構東京病院(結核傷病兵用の旧・東京療養所)より譲られたこの地へ1989年(平成元)年に東京・原宿から移転したとき、近隣の要望で既存緑地の55%を残したせいだろう。
学生数は大学院を含め約940人(2021年)。しかし、行政職をはじめ民間の施設・団体、教員などへと人材を送り出す「福祉教育のパイオニア」の存在感は大きい。

緑濃い清瀬キャンパス
米国直輸入の技術
失業者、浮浪児、焼け跡に広がるバラック群……。戦後、日本の世相はすさんでいた。占領するGHQ(連合国軍総司令部)は生活保護法ならびに法を運用する専門的従事者養成校の新設を政府に指示。それを受け、46(昭和21)年10月、法施行に合わせて開校したのが「日本社会事業学校」。社大の前身だ。旧制大学や専門学校の卒業者を対象にした「研究科」(1カ年修了・定員50人)と、戦前の方面委員から衣替えした民生委員らに現任(リカレント)教育を行う「講習科」の2科の、厚生省(現厚生労働省)予算で運営する〝準国立〟の各種学校であった。
そのころ、政策を救貧から防貧へシフトしつつあった米国では、福祉のケースワーカーは大学や大学院卒業生の仕事であった。慈恵的な「救護法」(29年制定)に凝り固まった厚生省の官僚には「アメリカの言うことが僕らと違いすぎて理解できず、職員を調査に派米した」と葛西嘉資(かさいよしすけ)・元厚生次官(1906~2001)。29年に内務省へ入り、戦後はGHQと折衝しながら自らも渡米し、海外引揚者の援護、生活保護法、児童福祉法、社会福祉事業法の新設など厚生行政の骨格を築いた。

葛西嘉資・初代学長
事業学校についても、立ち上げから「日本社会事業専門学校」(47年4月)、そして「日本社会事業短大」(50年4月)へ、さらに4年制大学昇格前年の57年に木村忠二郎・第2代学長(1907~78)=元厚生次官=へとバトンタッチするまでの10年余、校長(事務取扱)・学長職にあった。
研究科第1期生には全国から109人が応募した。女性4人を含む52人の入学を許可。社大の開校記念日となる46年11月9日、日赤本社(東京)の講堂で開校式を行った。食糧難の中、新入生に昼食を用意するなど「かなり意気込んだ」式になったという(『日本社会事業大学五十年史』)。「当日下駄履を禁ず」の注意も。

開校1周年の記念式典には、GHQのサムズ大佐も挨拶に来た
学生は多士済々
木造校舎は東京・牛込の旧軍人援護会のオンボロ、東大や早慶など戦前の、とはいえ当時としては一流の社会政策や労働法の学者や福祉施設の管理者らを講師にそろえた。半年後には新設の本科(3年制)を加えて事業専門学校へ移行するのだが、学生は多士済々。本科は高校の新卒者が多かったが、研究科には陸軍や海軍の元軍人、公務員、僧侶、教員、旧帝大や士官学校などの卒業生、農家など20~40代の学生が教室を埋めた。軍服に軍靴姿も珍しくなかったという。
48年に原宿へ引っ越し。東郷神社のそばだ。いまではヤングの人気スポットだが、校舎(旧・海軍館)は空襲の跡も生々しく、戦禍の臭いを漂わせていた。
都道府県や社会福祉協議会によっては給費制度をつくり、本科へ送り出している。東北地方では管轄するGHQ軍政部の係官が自治体へPRしたところもある。
30代で教壇に立った五味百合子・名誉教授(1913~2009)は、そう歳の離れていない研究科の学生たちに「梁山泊〔豪傑たちの集まるところ〕の住人みたい」と目を丸くしている。
米軍統治下の沖縄からも、初めは米軍関係の夫人たちのカンパで一人の女子学生が、50(昭和25)年以降は琉球政府や現在の沖縄県社協の奨学金で原宿の土を踏んだ。本土の学生の多くが卒業後、都会で職を得たのと違い、ほとんどが焦土の沖縄へ戻った。校歌のスピリットを携えて。
霜烈な校歌
孤独、敗残、途(みち)に哭(な)き
わが世 餓(がひょう)の野となれば
社会の福祉誰(た)が任ぞ
忘我の愛と智の灯(ともし)
捧げん世紀来たりけり
社大 社大 おおわれら
短大移行時にできた校歌(佐伯仁三郎作詞、木田みさを作曲)の第2番だ。室町時代の戦記物語『太平記』の情景-「空(むな)シク赤土(せきど)(赤茶けた土)ノミ有ツテ、青苗(せいびょう)(青々としたイネの苗)無シ。餓莩(餓死した者)野ニ満チテ、飢人(きにん)地ニ倒ル」(『日本の文学』ほるぷ出版から)-を思わせる荒廃から忘我(ぼうが)友愛(自分のことだけを考えず人を助ける)の心で福祉の世へ、との意気込みが伝わってくる。
大学の使命をここまで霜烈に歌い上げる学舎はそうあるまい。まだ助教授だった日本女子大の一番ケ瀬康子・名誉教授(1927~2012)はこの節を引用しつつ、「学生の多くは、生きる意義とその手段が直結する生き方を、真剣に考えている」(『大学の庭』朝日ジャーナル編集部、1964年)と評した。
| 社大メモ 社会福祉学部の中で福祉計画学科(福祉経営、地域福祉の2コース)、福祉援助学科(保健福祉、子ども・家庭福祉、介護福祉の3コース)に分かれる。研究大学院のほか、福祉系では唯一の専門職大学院や通信教育課程をもつ。学生の約7割が女子、卒業生の約9割は毎年、社会福祉分野へ進む。 理事長=名取はにわ 学長=横山彰。 サテライトキャンパス(文京区)、国際・アジア福祉研究教育センター、付属実習施設「子ども学園」、学生寮などを併設。 |

