【立正大・中】石橋湛山学長の誕生
2026年01月07日 福祉新聞編集部
第2次世界大戦は日本の敗戦、主要都市は焼け野原になり立正大学の校舎も焼けた。1949(昭和24)年2月10日付け立正大学新聞は「迎霊簿運動の現況」の記事で、「わが宗門唯一の教学的中枢と言うべき立正大学が、戦時中思想的には祖師の真意が悪く解釈されて偏狭な国家主義に歪められ、さらに戦災を蒙(こうむ)って幾多の教室、学寮等の木造建築物の一切を烏有(うゆう)に帰せしめ、その有形無形両面に渡る損害は誠に少なくないのである。漸く巡り来たった平和の再来と期を同じうしてどん底の日本の立ち上がりにつれて宗門も十年来の真面目に立ち返り、まず着手したのが学園の復興である」とし、大学の新校舎完成(48年12月15日)を報告。また、総合大学を目指すための整備計画を進めるにはさらに資金が必要であると、援助を要請していた。
新制大学は認可申請中としながら、49年度からの入学願書受付広告を掲載している。それによると仏教学部と文学部の2学部制で、文学部は哲学科、史学科、国文学科、社会科学科の4科制と紹介。同じ紙面で、社会科学科について、「祖師の大学から祖師の実践と、祖師の情熱を理想とした民主文化の第一線を担う」との表現で大きな期待を寄せていた。
また、立正大学がどうすればその伝統において明日の良き伝統を築き上げることができるか、教授座談会では、「社会科学科の計画は全く時宜を得たもので大いに期待している。この点本学では大いに特色づけて行かねばならない」と、荒廃から立ち直ろうとの熱い気持ちが伝えられている。その後、「社会科学科」は「社会学科」で認可された。

大学の新校舎完成を報ずる立正大学新聞
蔵相に抜擢
一方、石橋湛山はまだ学外にいる。戦前は、政府、軍、大新聞こぞっての国威発揚の大合唱の前に、湛山の正論は認められず疎開先の秋田県で終戦を迎えた。
湛山はどのように動いたか、増田弘著「石橋湛山」(中公新書)に詳しい。敗戦を予期していた湛山は、「更生日本の門出―前途は実に洋洋たり」と東洋経済新報の社論に記し、その中で「今後の日本は世界平和の戦士として全力を尽くすべきである」と高らかに訴えたのである。
そして、政治に関わる道を選び、自由党顧問になる。46(昭和21)年4月の戦後初の総選挙に立候補したものの落選するが、第1次吉田内閣の蔵相に抜てきされた。
軍部に代わって登場した絶対権力者はGHQ(連合国軍総司令部)だったが、蔵相の湛山はぶれることなく、窮乏する日本人のため、進駐軍のゴルフ場建設などぜいたくな経費の削減を要求、認めさせた。その翌年の総選挙では静岡2区から立候補、初当選を果たした。ところが、GHQにより公職追放となる。湛山は、自ら反論書を作成し、マッカーサーに対しても書簡を送り、GHQの理不尽を訴えたが、聞き入れられず、追放解除になったのは51(昭和26)年6月のことだった。
自由党に復党、鳩山派に所属した湛山は、政治家としての活動を再開。その翌年、立正大学学長に就任した。
湛山の父親は日蓮宗総本山身延山久遠寺の第81世法主を務めた人物で、湛山自身も、早稲田大学文学部を卒業後に宗教研究科を修了している。「日本のケインズ」と称され、また経済ジャーナリストとして、日蓮聖人のごとく、弾圧に屈しない生き方を貫いてきた人だけに、新生立正大学にとって最もふさわしい学長として推されたのだった。

第16代学長の石橋湛山
建学の精神決める
湛山は、学長に就任すると、日蓮聖人の「立正精神」を現代風に言い換えた「建学の精神」を決めた。
一、真実を求め 至誠を捧げよう
一、正義を尊び 邪悪を除こう
一、和平を願い 人類に尽そう
法華経の精神と学問の実践とを一体化する生き方を説き、立正大学の総合大学化を目指した。
一方、政治家としての湛山は、56(昭和31)年12月に内閣総理大臣に就任、福祉国家建設を掲げ国民皆保険を決めた。しかし、過労がたたり、倒れたことから、就任2カ月で潔く辞職した。その後は、「日中米ソ平和同盟」構想を掲げ、世界平和のため捨て身の活動を続け、72(昭和47)年日中国交正常化が達成された翌年に永遠の眠りに就いた。
戦後、新憲法によって、国家に社会保障が義務付けられ、児童、高齢者、障害者などに対する援護・育成・更生を図るための各種法制度も整備され、支援サービスを提供する施設も整備が進んだ。
こうした社会の変化に対応して、大学の生き方も変わった。文学部社会学科の「日常の中に問題や疑問を見出す社会学科の学び」はそのままに、総合大学化を目指す中で、67(昭和42)年に開設された熊谷キャンパスには96(平成8)年に社会福祉学部が設置され、社会福祉学科と子ども教育福祉学科の2学科が置かれた。学部の教育理念は「社会で起こっている現代的課題を的確に分析する能力、さまざまな背景を持つ人々の気持ちに寄り添い共感する心と豊かな人間性、そして創造的に福祉課題に取り組む実践力を持ち合わせた、実社会の各分野で活躍できる人材を育成する」となった。
その上で、社会福祉学科は、高齢者、障害者など生活の困難を抱えた人たちを支えるエキスパート、特別支援学校教諭、福祉社会を地域から支える公務員などを目指す学生たちを育てている。
子ども教育福祉学科は、教育・福祉・心理の3学問領域を柱に、子ども・家庭・地域の援助の専門的知見を持つ保育士、幼稚園教諭、小学校教諭を目指す学生を養成している。

