【立正大・上】衆生の救済こそ至上

2026年0107 福祉新聞編集部

「法華経(ほけきょう)こそが衆生(しゅじょう)を救済する最上の経典である」。立正大学の沿革をたどると、そう言って日蓮宗を興した日蓮聖人(1222~1282)に至る。時は鎌倉時代、日蓮聖人は「立正安国論」を記し、元寇を予言し、邪教を禁じ正法である法華経を広めなければ国難に遭うなどと前執権の北条時頼に訴えた。しかし、認められず、流罪にされるなど弾圧されたが屈しなかった。その教えは、弟子たちによって代々伝えられ、僧侶の教育研究機関である「檀林」にも受け継がれた。

飯高檀林の開設
檀林は全国に14カ所開設され、最高位が戦国時代の1580(天正8)年に創立の「飯高檀林」(千葉県匝瑳市)とされ、立正大学は、ここを淵源とする。
江戸時代になると徳川御三家の紀伊家、水戸家の庇護のもとで講堂など伽藍が建築され、多くの僧を輩出した。明治維新後は、1872(明治5)年に東京市の日蓮宗承教寺(港区)に移転、小教院と改称した。その後1904(明治37)年に谷山ヶ丘(現品川区大崎)に移転、日蓮宗大学林、日蓮宗大学を経て、24(大正13)年に大学令による立正大学となった。
日蓮聖人の教えを受け継いでいるだけに大学、学生は社会問題に強い関心を寄せた。17(大正6)年9月に関東地方を襲った大暴風が東京を中心に大災害をもたらした際には、学生と同窓会は救護隊を組織、救助活動を展開した。また、翌年の米騒動をきっかけに学内に社会問題研究会を作り、19年には社会問題研究室を開設した。さらにその翌年4月からは、毎月曜午後に7週連続で社会政策の勉強会を開催するようになった。
児童心理学の教授と学生らによる非行少年の教育施設・感化院の視察や、労働問題の研究者として知られる早稲田大学商学部長を務めた北沢新次郎ら学者、母性保護連盟の初代委員長として知られる女性運動家の山田わかを招いての講演会も開催した。日蓮宗の雑誌・月刊宗報にも掲載、広く信者に広報された。また、子供向けの音楽、遊戯、童話などの発表会、マルクス研究の発表会も紹介されており、大正デモクラシーの時代らしい自由な雰囲気の中で活発な活動が行われていた。

飯高檀林の境内に建つ「立正大学発祥之地」の石碑

飯高檀林の境内に建つ立正大学発祥之地」の石碑

 

社会事業の講習会
この時代は第1次世界大戦後の好景気バブルが破たん、戦後恐慌が発生したことで労働争議、小作争議が多発した。20年には、政府も内務省社会局を設置し、社会事業を所管させた。欧米先進国で行われている貧困対策を国として実施することになった。
民間組織として活動していた中央慈善協会(現全国社会福祉協議会)は、社会事業協会と名称を変え、社会事業講習会を始めた。この動きに呼応し、34(昭和9)年に立正大学でも社会事業講習会が開かれた。授業内容は、第1学年は1週2時間で1年70時間を予定。授業内容は、近世社会問題の起因。失業問題とその対策。労働組合論や婦人労働、幼年労働問題などの講義が設けられた。第2学年は、慈善事業の起源及び発達、窮民救助の方法などの講義が行われた。
またこの時代、日清戦争、日露戦争の勝利を受けて国家主義、国体思想への関わりを深めようとする動きが軍部や社会に強まり、大学の中でもその影が色濃くなってきた。
大学に残されている日蓮宗宗門時評などの記録には、千葉県内の布教会の発会式に数十名の陸軍将兵が参加、また長崎県の講習会には、海軍中佐と陸軍要塞司令官が講師として出席(20年9月10日)するなど軍関係者の関わりが頻繁に出てくる。
軍備増強を目指す日本に対し米国、英国などが歯止めをかけようと開かれた海軍軍縮会議の動きとともに、満州事変以来反発を強める中国の動向が大きな関心を呼んでいた時期でもあった。

江戸時代の慶安元年の再建と伝えられる「飯高檀林」講堂

江戸時代の慶安元年の再建と伝えられる「飯高檀林」講堂

 

植民地主義に反対
ちょうどこの時期、立正大学と深い縁を結ぶことになる人物が歴史の渦の中で活動をはじめていた。戦後、第16代学長になる石橋湛山(1884~1973)だ。新進気鋭の東洋経済新報のジャーナリストとして帝国主義・植民地主義に断固反対の論陣を張っていた。最も代表的な論説『大日本主義の幻想』の中では、「朝鮮・台湾・樺太も捨てる覚悟をせよ、それこそが日本を活かす唯一無二の道である」と論じた。
湛山は、朝鮮、台湾、関東州の3地域との商売は9億円だが米国との商売は14億円。インドは4億円。英国は3億円で、植民地より、貿易の方が重要な存在だと主張した。
また、湛山は「これからの世界は、異民族支配はゆるされない。大国は、独立または自治を与えるしかないであろう。インド、アイルランドの情勢が物語っている」と分析する。「平和主義により、国民の全力を学問技術の研究と産業の進歩にそそぐにある。兵営の代わりに学校を建て、軍艦の代わりに工場を設くるにある。陸海軍経費8億円、かりにその半分を年々平和的事業に投ずるとせよ。日本の産業は、幾年ならずして、全くその面目を一変するであろう」。「平和主義こそ唯一の道」(半藤一利著、「戦う石橋湛山」から)との論陣を張っていた。21(大正10)年、ときに湛山37歳。

 

立正大学メモ
品川キャンパス(東京都品川区)=心理、法学、経営、経済、文学、仏教の6学部。熊谷キャンパス(埼玉県熊谷市)=社会福祉、地球環境科学、データサイエンスの3学部。計9学部、16学科に学生1万人超が学ぶ。社会に求められる確かな教養と専門性を備えた「モラリスト×エキスパート」の育成を目指す。
 学長=吉川洋
 各学科に対応した心理学研究所、経済研究所、日蓮教学研究所、法制研究所、人文科学研究所、環境科学研究所、産業経営研究所、法華経文化研究所、社会福祉研究所、データサイエンス研究所を持つ。
 運営主体は、学校法人立正大学学園

 

 

 

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